Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 几号水準点 その他

  【新宿区】
   ○ 毘沙門天善國寺
   ○ 市谷亀岡八幡宮 別頁

  【渋谷区】
   ○ 宝泉寺     別頁

  【千代田区】
   ○ 靖國神社

  【文京区】
   ○ 湯島天満宮   別頁

  【江東区】
   ○ 富岡八幡宮   別頁
 
 几号水準点(奥州街道/その他)
 几号水準点(江戸城/その他)
 几号水準点(港区)


毘沙門天善國寺 新宿区神楽坂5-36

 三度の火災に遭い、寛政5(1793)年に現在地に移転。
 夏目漱石『坊っちゃん』『それから』などの作品に登場するほか、日記にも頻出します。

    

「江戸名所図会 牛込 神楽坂」

 現在の飯田橋駅西口に牛込門があり、そこから北西に上がる坂が神楽坂です。
 挿絵の右上に「善國寺」「毘沙門堂」「こんぴら」が描かれています。

   

<几号水準点>

 阿吽一対の石虎像の阿形の台座(本殿に向かって右側)に几号水準点があります。

   

    

「新宿区指定有形民俗文化財 善國寺の石虎
 (中略)
 なお、阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号水準点で、
 残存している数は全国的にも少ない。
   平成二十一年十二月  新宿区教育委員会」

(説明板全文)
「新宿区指定有形民俗文化財 善國寺の石虎
   所在地 新宿区神楽坂五丁目三十六番地
   指定年月日 平成二十一年十一月六日
 安山岩製の虎の石像で、像高は阿形(右)が八十二センチ、吽形(左)は八十五センチで、台石・基壇部も含めた総高は、両像ともに二メートルをこえる。台石正面には浮彫があり、虎の姿を動的に表現している。
 嘉永元年(一八四八)に奉納されたもので、阿形の台石右面には、「岩戸町一丁目」「藁店」「神楽坂」「肴町」などの町名と世話人名が刻まれ、寄進者が善國寺周辺の住民であったことがわかる。石工は原町の平田四郎右衛門と横寺町の柳沼長右衛門である。
 善國寺は毘沙門天信仰から「虎」を重視し、石虎の造立も寄進者らの毘沙門天信仰によると考えられる。また、台石に残された寄進者名や地名は、江戸時代後期における善國寺の毘沙門天信仰の広がりを示している。
 石虎は都内でも珍しく、区内では唯一の作例である。戦災による傷みが見られるが、希少な石像であるとともに、地域にとっても貴重な文化財である。
 なお、阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号水準点で、残存している数は全国的にも少ない。
  平成二十一年十二月  新宿区教育委員会」

   

<家畜慰忌碑>
 
 「家畜慰忌碑」と、右に「家畜慰霊碑 寄進者芳名」

  

神楽坂>

 夏目漱石は、子どもの頃から神楽坂を訪れ、買い物をしたり、寄席に通ったりしていました。
 また、寺内には漱石の従兄の家がありました。

(標柱)
「神楽坂
 坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。
  平成十四年三月 新宿区教育委員会」

     

相馬屋源四郎商店> 新宿区神楽坂5-5

 江戸時代から続く老舗の文房具店です。

 和半紙だった原稿用紙を尾崎紅葉の助言で洋紙にして売り出したのが「相馬屋製」。
 尾崎紅葉、夏目漱石、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥といった文豪たちに愛用されました。
 現在も「相馬屋製」の原稿用紙を手に入れることができます。
 (ホームページ:http://www.soumaya.co.jp/

   

 石川啄木最後の歌は、相馬屋製の200字詰の原稿用紙に書きつけられ、
 石川啄木終焉の地歌碑として建っています。

   


靖國神社 千代田区九段北3-1-1

<几号水準点>

 神門入って左の青銅大燈籠の台座に「几号水準点」が刻まれています。

     

    

  

さざれ石>

 第二鳥居先の右手に「さざれ石」があります。
 京都舞鶴産のさざれ石です。

    

(説明板)
「さざれ石(細)は、平安初期以来の賀歌(がか)「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」に基づく国歌「君が代」の中にも詠まれている
「さざれ石の巌となりて」からもわかる通り、小さな石が長年をかけて巌という大きな石になるまで長い長い年月や国民の固い絆を示すものとして御代の悠久を祈った
めでたい石です。」

  


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