Discover 江戸旧蹟を歩く

 ○ 几号水準点(奥州街道/その他)

  ・ 大川町氷川神社 足立区千住大川町 ※別ページ
  ・ 素盞雄神社   荒川区南千住   ※別ページ
  ・ 円通寺     荒川区南千住
  ・ 三島神社    台東区下谷
  ・ 天王寺山門前  台東区谷中    ※別ページ
  ・ 東叡山浄名院  台東区上野桜木  ※別ページ
  ・ 上野東照宮   台東区上野公園  ※別ページ
  ・ 鳥越神社    台東区鳥越
  ・ 付属予備点   台東区橋場/今戸

  ・ 瀬崎浅間神社  草加市瀬崎
  ・ 神明宮     草加市神明  ※別ページ

 ○ 几号水準点(江戸城/その他)

 ○ 几号水準点(港区)

 ○ 几号水準点(新宿区/その他)



円通寺 荒川区南千住1-59-11

 <百観音碑>

  境内入ってすぐの左手に百観音碑があります。
  その台石に几号水準点が刻まれています。

      

     
 

 <百観音 円通寺>

 (説明板)
 「  百観音 円通寺
   延暦10年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝える。
  また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった四十八の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、
  この辺りを小塚原とよぶようになったという。
   江戸時代、下谷の広徳寺・入谷の鬼子母神とともに「下谷の三寺」とよばれた。
  秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、
  観音堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊した。
   境内には、石造七重塔、彰義隊士の墓、永仁4年(1296)銘を始めとする板碑4基(区指定文化財)
  などがある。
    荒川区教育委員会 」

      
 

 『彰義隊士の墓』『旧上野の黒門』『板碑』『鷹見の松』『四十八首塚』『七重塔』があります。

      

     
 

 <聖観世音像>

  高さ12mの聖観世音像の原形は、高村光雲大正12年作一寸八分、円通寺蔵。
  上野の西郷さんや、皇居前広場の楠公は高村光雲の代表作です。

     



○下谷金杉三島神社玉垣石柱 台東区下谷3-7-5

 「三島神社の横にある道路はかつては川。
  人々は川にかかる橋を渡って参拝し橋は「三島様の石橋」として親しまれていました。
  明治の末期より、その石橋の一部を東参道の敷石として保存しております。」
  (三島神社のホームページより引用)

    
 

 <几号水準点>

  三島神社北門の敷石に几号があります。水平配置です。
  「三島さま」の石橋も埋められています。
  三島神社のホームページに几号の写真と記載があります。

       
 

 <火除稲荷社>(旧ミサキ稲荷社)

  「境内には火除稲荷社(三島神社の地主神)が鎮座されています。
  昔、徳川氏が上野山内の火難方位除けのために勧請したと伝えられており、
  古くはミサキ稲荷社と称していました。
  後に、この地が火除地と定められ、その際、火除稲荷と改称されましたが
、 その創建年代等、詳しくはわかっていません。」(三島神社説明)

  江戸切絵図に「ミサキイナリ」の記載があります。

     
 

 <雷井戸>

  神社では「不落(おちない)守」(1000円)を授与しています。

    



鳥越神社 台東区鳥越2-4-1 03-3851-5033
 

<旧町名由来案内 旧浅草鳥越二丁目>

 旧町名由来案内に、鳥越神社の由来が記されています。

(説明板)

「旧町名由来案内 旧浅草鳥越二丁目
 本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代後期の頃(一一八五)まで白鳥村と言われていた。日本武尊が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまったことから村の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉二年(六五一)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀った。その後、永承(一○四六?一○五三)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事渡ることができた。義家公はこれ白鳥大明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
 「鳥越夜祭り」
 六月九日に近い日曜日に鳥越神社の「千貫御神輿」が氏子によって町内を練り歩く。なかでも見ものは宵の宮入である。火入れ式のあと氏子衆によってかかげられた百数人の高張堤灯と担ぎ手の熱気によって祭は最高潮に達する。  台東区」

   
 

<鳥越神社(説明板)>

 「 鳥越神社    台東区鳥越二丁目四番一号
 当神社は、白雉二年(六五一)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
 社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年間(一○四六-五二)奥州の安部貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義・義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
 例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。
  平成十一年三月  台東区教育委員会」
 

<松平神社>

 江戸切絵図を見ると、「松平山西福寺」の西に「御宮」とあります。
 関東大震災で罹災し鳥越神社に合祀された、徳川家康を祀った「松平神社」かと思われます。

  
 

<社号標等>

 社号標は、「鳩山一郎書」とあります。
 白鳥橋を渡り境内へ。都内の神社には多い、ラジオ体操会場となっています。

     

     
 

<鳥越神社石華表几号水準点>

 鳥越神社には鳥居が三つあり、西側の鳥居の左側に几号水準点が刻まれています。
 かなり明瞭で、保存状態が良いです。

    

   



付属予備点】

○台東区橋場 台東区橋場2-1-12株式会社伊勢金前歩道中央

 几号水準点ではなく付属予備点というものです。
 株式会社伊勢金前歩道中央にあります。
 歩道反対側は、橋場不動尊。
 ここから600m南の社会教育会館前の歩道にも付属予備点があります。

     
 

○台東区今戸 台東区今戸2-26-12今戸社会教育会館前歩道中央

 几号水準点ではなく付属予備点というものです。
 歩道の舗装で、四角面が丸面に変貌しつつあります。
 ここから600m北の歩道中央にも付属予備点があります。

     



瀬崎浅間神社(富士浅間神社) 草加市瀬崎3-3-24 

    
 

<几号水準点>

 御手洗石の右側面の左下に几号水準点があります。かなり風化しています。
 草加市教育委員会説明板があります。

     
 

<説明板>

「富士浅間神社手洗石の高低測量几号 草加市瀬崎町500番地
 慶応元年(1865)銘のある手洗石に刻まれている「不」の記号は、「高低測量几号」といい、水準点を示します。
 内務省地理寮が明治九年(1876)八月から一年間、イギリスから招聘した測量技師の指導のもと、東京塩釜間の水準測量を実施したとき、一の鳥居際(現在、瀬崎町の東日本銀行草加支店近く)の境内末社、下浅間神社の脇に置かれていた手洗石に、この記号が刻まれました。
 当時、測量の水準点を新たに設置することはせず、主に既存の石造物を利用していました。市域でも二箇所が確認されています。この水準点が刻まれた時の標高は、三・九五三メートルです。測量の基準となったのは霊巌島(現在の東京都中央区新川)で、そこの平均潮位を零メートルとしました。
 その後、明治十七年(一八八四)に、測量部門はドイツ仕込みの陸軍省参謀本部測量局に吸収され、内務省の測量結果は使われることはありませんでした。
 以後、手洗石も明治四十年代(一九〇七〜一九一二)と昭和七年(一九三二)に移動し、記号にも剥落が見られますが、この几号は、測量史上の貴重な資料であるといえます。
  平成二十二年三月  草加市教育委員会 」

  
 

<合社>

 下浅間社、浅間稲荷社・疱瘡神を合祀した社です。

   
 

<力石>

 5基の力石が並んでおり、3基が寛政年間前後に活躍した「山谷田中己之助」の奉納の力石が3基あります。

     
 

<瀬崎富士/小御嶽神社>

 小御嶽神社は富士塚の山頂に鎮座しています。
 瀬崎富士は平成28年2月に修復工事が行われ整備されたものです。

     

     

   
 

<瀬崎天神社>

 富士塚の横に瀬崎天神社。

    


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