○ 日本橋
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○ 発句也松尾桃青宿の春 ※別ページ
現在の日本橋は、明治44(1911)年に完成したもので、国の重要文化財に指定されています。
<橋銘板「日本橋」徳川慶喜揮毫>
橋銘板「日本橋」「にほんばし」は、維新の際に戦火を免れることができたのは、徳川慶喜の決断があった
おかげとして、揮毫を徳川慶喜に依頼(当時の東京市長は尾崎行雄)したものです。
慶喜が書いた「日夲橋」が新聞発表されたところ、読者から「本」の字が「夲」の字になっており、
この2つの字は異なるものだという抗議がありました。
慶喜は「誤りを末代に残すのは本意ではない」と言って、
もう一度書き直したのが現在も残る「日本橋」の文字です。
首都高に掲げられている「日本橋」は、慶喜の書を切り貼りして横書きにしたものです。
向島百花園に、慶喜揮毫と言われる「日夲橋」の標柱が、模造とも詳細不詳のものがあるようです。
<獅子像/麒麟像>
橋の四隅には東京市の紋章を抱く獅子像、中央には翼のある麒麟像が設置されています。
渡辺長男氏の作です。万世橋駅の軍神広瀬中佐像など、GHQによる撤去命令で渡辺氏の作品は、かなり失われているようです。
当初は太田道灌像と徳川家康像が設置される予定でしたが、洋式の橋にそぐなわいとして廃案となり、
両像は東京市庁舎前に設置されたもののなくなっています。現在は朝倉文夫氏作の太田道灌像があります。
<靖国神社「青銅燈籠」の麒麟像レリーフ>
渡辺長男が翼のある麒麟像の制作に当って、参考にしたのが靖国神社「青銅燈籠」の麒麟像レリーフです。
・南西詰「花の広場」 中央区日本橋1-1-1
「日本橋由来記」が設置されています。
上部に広重の絵、その下に由来が刻まれています。
・北西詰「元標の広場」 中央区日本橋室町1-1
「日本国道路元標」の複製と説明書き。道路元標の本物は道路中央にあります。
「東京市道路元標」が建っています。
・南東詰「滝の広場」
「双十郎河岸」碑
(裏面碑文)
「由来の記
明治四十四年四月三日に架橋されし第二十代日本橋が、本年百寿を迎えたるを記念し、此の地に往時の舟運と親水の賑わいを取り戻すべく桟橋を設けたり。開桟の行事に東西歌舞伎界の大名跡、江戸ゆかりの十二代目市川團十郎、上方ゆかりの四代目坂田藤十郎、両丈の船乗り込みを催す。よって此の地を俗称「双十郎河岸」と命名し、永く日本橋川の繁栄を期すると共に茲に碑を建てその由来を記するものなり。
平成二十三年七月吉日 名橋「日本橋」保存会」
・北東詰「乙姫広場」 中央区日本橋室町1-8-1
「日本橋魚市場発祥の地」碑があります。
<江戸名所図会 日本橋>
江戸名所図会が描く日本橋。
挿絵右下に、橋詰から日本橋魚市入口が見えます。
2人で1匹のマグロを運んでいる人など、マグロが目に付きます。
「日本橋夜」(小林清親)
「日本橋夜景」(井上安治)
「武蔵百景之内 江戸ばしより日本橋の景」(真生楼小林清親 明治17年)
奥に見える日本橋は、まだ木橋です。初鰹が天秤皿に見えます。
広重の江戸名所百景を想起させる絵です。
「名所江戸百景 日本橋江戸ばし」(広重)
日本橋の上から日本橋川下流に架けられた江戸橋を望んだ風景です。
江戸橋の向こうには、小網町の蔵が連なっています。
日本橋を渡る天秤皿には初鰹が見えます。
「東京名所三十六戯撰 日本はし」(昇齋一景)
日本橋のドタバタが描かれています。