Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 芭蕉ゆかりの地 小田原町


○発句也松尾桃青宿の春 中央区日本橋室町1-12-13

 「日本橋 鮒佐」の店先に松尾芭蕉の句碑が建てられています。
 松尾芭蕉が江戸へ来て最初に住んだ場所が、ここ小田原町です。

 「発句也 松尾桃青 宿の春 桃青」
 松尾桃青(前の俳号)が、延宝7(1679)年、迎春の心意気を詠んだ句です。

    

(説明板)
「発句也松尾桃青宿の春
 松尾芭蕉は、寛文十二年(一六七二)二十九歳の時、故郷伊賀上野から江戸に出た。以後延宝八年(一六八〇)三十七歳までの八年間、ここ小田原町(現室町一丁目)の小沢太郎兵衛(大舟町名主、芭蕉門人、俳号ト尺)の借家に住んだことが、尾張鳴海の庄屋下里知足の書いた俳人住所録によって知られる。当時「桃青」と称していた芭蕉は、日本橋魚市場にまぢかな繁華の地に住みつつ俳壇における地歩を固め、延宝六年には俳諧宗匠として独立した。その翌年(延宝七年)正月、宗匠として迎春の心意気を高らかに詠み上げたのがこの碑の句である。碑面の文字は、下里知足の自筆から模刻した。

 日本橋を北に渡った東側に魚市場があった。河岸には魚を満載した舟が漕ぎ寄せられ、早朝から威勢のいい掛け声で賑わった。この絵の右側すなわち北側二筋目の通りが、芭蕉の住んでいた小田原町で、そこにも魚屋が並んでいた。芭蕉は魚市場の喧騒を耳にしながら暮らしていたのである。
  東海道名所図絵 秋里籬島著」

     
 

<日本橋 東海道名所図会>(秋里籬島編 吉川弘文館 明43)

  
 

<江戸切絵図>

 「小田原丁」の記載が見えます。

  
 

<日本橋鮒佐>

 「長期休業のお知らせ
  この度、私ども越谷工場の生産設備の老朽化による故障により長期に休業をせざるを得なくなりました。
  お客さまには大変ご迷惑をお掛けいたしますこと、申し訳なくお詫び申し上げます。
    二○一九年九月 日本橋鮒佐」

     

【閉店】日本橋鮒佐は、休業から閉店となっています。

    


戻る