Discover 江戸史蹟散歩
 
 ○ 長命寺@
    ・江戸名所図会
    ・南大門/仁王門
    ・東参道
    ・境内
    ・本堂(金堂)

   長命寺A
    ・奥之院参道
    ・御影堂(大師堂)
    ・観音堂

   長命寺B
    ・石燈籠と十三仏
    ・閻魔十王と身代わり閻魔
    ・大猷院殿台霊供養塔
    ・台徳院殿尊前


〇奥之院(東京都指定史跡)

(説明板)
「東京都指定史跡
 東高野山奥之院      所在地 練馬区高野台二ー一○ー三
              指 定 昭和三一年三月三日
 長命寺は、縁記等によれば、小田原北条氏の臣であった増島重明が北条氏没落後隠棲し、慶算と号し高野山へ登り木食修行において弘法大師の木像を感得し、谷原に一院を営んだのを初めとします。重明の家督を継いだ増島重俊が、慶算阿闍梨の志を継いで、紀州高野山の構えにならって堂宇を建造し、長谷寺小池坊の僧正秀算が長命寺と命名したものです。
 奥之院は重俊が慶算の志を継ぎ、紀州高野山の弘法大師入定の地勢を模して整備したものです。御廟橋から奥之院(大師堂)に通ずる沿道の両側には多数の供養塔・灯籠・六地蔵尊・宝儀印塔・五百羅漢・水盤・姿見井戸などが配列されています。このように紀州高野山を模して造られたので東高野山と呼ばれています。この奥之院は規模等において高野山奥之院を凝縮したものですが、霊場にふさわしい雰囲気となっています。
 長命寺は、たびたび火災にあり、多くの堂宇は明治以降の再建ですが、区内最古とされる梵鐘(慶安三年銘)や、芝居絵馬や石像などの多くの文化財が残されています。
  平成二二年三月 建設    東京都教育委員会」

   

<奥之院への参道>

 奥之院への参道は、御廟橋を渡る参道と石燈籠が並ぶ参道の2つがあります。
 江戸名所図会では、御廟橋を渡る参道のみ描かれていて、
 石燈籠が並ぶ現在の参道は、御影堂と観音堂を結ぶ回廊が描かれています。

<奥の院参道入り口(御廟橋経由)>

 奥の院参道入口左手前に「右 東高野山道」と刻まれた道標が、
 右手前に「東かうや山おくのいん入口」と刻まれた石塔が建っています。

    

<出羽三山等供養塔>

 参道の左側に立ち並ぶ三十数基のさまざまな石塔の中に、出羽三山供養塔があります。
 正面「月山 湯殿山 羽黒山 四國 西國 秩父 坂東 拜禮供養塔」天保3(1832)年の造立です。
 右側面に願主、谷原村の個人です。

    

   

    

    

<出羽三山百番供養塔>

 御廟橋の手前左手に3基の石塔があり、1基が出羽三山供養塔です。
 正面「月山 湯殿山 羽黒 秩父 西國 坂東 百番順禮供養塔」
 右側面「先祖代々一切聖霊為菩提」
 正面台石「依田」
 左側面 文化15(1818)年造立です。施主は江戸牛込横寺町の個人。

    

      

<右手の石塔>

 参道入ってすぐの右手の石塔。

    

<御廟橋(みみょう)>

 御廟橋の右手に石碑があります。嘉永7(1854)年の修復です。
 御廟橋「みめ卯の者し」の振り仮名。北八講中。

    

    

・石橋敷石供養

 橋の左手に石碑「石橋敷石供養」があります。
 享和元(1801)年11月と刻まれています。
 御廟橋の説明なのか別の場所にあった石碑の移設なのか不詳。

    

〇霊場域

 御廟橋を渡ると「霊場域」である奥之院です。
 両側に六地蔵、十基の宝篋印塔、三対の石燈籠。その後ろにも墓地側に石塔が並んでいます。

     

    

 振り返って見たところです。
 参道の最後に三対の石燈籠、その先に十基の宝篋印塔、その先に六地蔵が並んでいます。

    

<燈籠>

 「武州豊嶋郡谷原村」
 「奉献石燈籠二基」(増上寺の燈籠は両基と銘されます)
 「慶安五年〜」
  施主は増島八郎右衛門重俊と刻まれています。
 増上寺からの移設燈籠が多い中、江戸名所図会にも描かれている当初から設置されている燈籠です。

    

    

<庚申供養塔>

 橋越えて参道右手に5基の石塔が並びます。
 道標を兼ねた庚申塔。安永5(1776)造立。
 右側面「右 田中道」
 左側面「左 石神井みち」

   

 参道左手に庚申塔。元禄8(1695)年。

    

<辞世の句碑>

 文久2年建立の辞世句碑。詳細不詳。

  

<双体道祖神>

 不詳。

  

<姿見ノ井戸>

 (説明石板)
 「長命寺は江戸府内の十七番の大師霊場で四国十七番井戸寺とは関係が深く
  昔からこの井戸の水に顔が写れば長生きすると伝えられている」

 枯れているのだろうと思いつつ、一応のぞいてみると、
 深いところで小さくなった水面に空が反射しています。

    

   


○奥之院参道の奉献石燈籠

 こちらの参道は、江戸名所図会には描かれていない後からの参道です。

 参道左手に立派な石燈籠1基。昭和54年に増島氏による奉納。
 その石燈籠の後方に、浄徳院殿(綱吉嫡男徳松)墓碑があります。

 参道の両脇には、元々増上寺霊廟にあった江戸時代の4対の石燈籠が並びます。
 2対4基は「有章院殿尊前」、2対4基は「文昭院殿尊前」の奉献石燈籠です。

     (正面から)             (反対側から)
   

<1組目>

 ・左の奉献石灯籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「有章院殿 尊前」(7代将軍家継)
    「従五位下〜守〜」
     正徳6(1716)年4月晦日の造立です。

    

   

 ・右の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「有章院殿 尊前」(7代将軍家継)
    「従五位下駿河守藤原姓新庄氏直祐」
     正徳6(1716)年4月晦日の造立です。

     

<2組目>

 ・左の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「有章院殿 尊前」(7代将軍家継)
    「従五位下本庄宮内少輔藤原道章」
     正徳6(1716)年4月晦日の造立です。
  この燈籠は燃えていないようです。
  刻まれた文字もしっかりしており、奉献者もしっかりと読み取れます。

     

・右の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「有章院殿 尊前」(7代将軍家継)
     奉献者は、刻部分の損傷激しく読み取れず。
     正徳6(1716)年4月晦日の造立です。

    

<3組目>

 ・左の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「文昭院殿 尊前」(6代将軍徳川家宣)
    「従五位下〜以下読み取れず」
     正徳2(1712)年10月14日の造立です。

    

 ・右の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州三緑山」
    「文昭院殿 尊前」(6代将軍徳川家宣)
    この燈籠は「三緑山」と刻まれています。三緑山とは増上寺です。
    「従五位下松平但馬守源友著」
     正徳2(1712)年10月14日の造立です。
    保存状態の良い燈籠です。

     

<4組目>

 ・左の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
    「文昭院殿 尊前」(6代将軍徳川家宣)
    「信州小諸城主 従五位下牧野周防守康重」
     正徳2(1712)年10月14日の造立です。

     

 ・右の奉献石燈籠
  正面「奉献石燈籠○○」「武州増上」
    「文昭院殿 尊前」(6代将軍徳川家宣)
    「従五位下〜」
     正徳2(1712)年10月14日の造立です。

     

浄徳院殿(綱吉嫡男徳松)墓碑>

 4対の燈籠の手前左手に、徳川綱吉嫡男徳松の墓碑があります。
 墓碑は下半分だけで上半分が失われています(上半分には他の石碑が載っています)。

 増上寺支院岳蓮社にあった墓所・墓碑ですが、昭和33年に、徳松墓所は増上寺の合祀塔へ改葬されています。

 こちらの墓碑には「浄徳院殿霊岳崇心 大童子 神儀」と刻まれ、天和3(1683)年5月28日の銘です。
 また、「従増上寺境内〜」と刻まれており、増上寺支院岳蓮社に据えられていたことがうかがえます。

 徳松は2歳で家督を継いで舘林藩主となり、5歳で夭逝しています。
 「七五三」の祝いは、天和元(1681)年11月15日に徳松の健康を願ったのが始まりだとされています。

    

     

<千壽観世音>

   

<十二日講引導者像>

   


〇御影堂(大師堂)

 奥之院の御影堂の扉には、見事な彫刻が施されています。
 階段下にも奉納物があります。

     

   

   

     


○観音堂

    

    

○参道両脇の奉献石燈籠

 6代将軍家宣と7代将軍家宣の奉献石燈籠がそれぞれ1基あります。

<奉献石燈籠(有章院殿尊前)>左手

 「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
 「有章院殿 尊前」(7代将軍徳川家継)
 「従五位下〜」
 正徳6(1716)年の造立です。

     

<奉献石燈籠(文昭院殿尊前)>右手

 「奉献石燈籠一基」「武州増上寺」
 「文昭院殿 尊前」(6代将軍徳川家宣)
 正徳2(1712)年10月14日の造立です。
 「肥後國球麻城主 従五位下近江守藤原姓相良頼以」
 相良頼以は人吉藩5代藩主。球麻城は人吉城の別名です。

   

     

<三鈷の松>

 観音堂の傍に立つ「三鈷の松」

    


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