Discover 江戸旧蹟を歩く

 日本橋兜町

  ○ 兜神社
  ○ 鎧の渡し跡
  ○ 鎧橋
  ○ 海運橋親柱

 日本橋茅場町

  ○ 電燈供給発祥の地
  ○ 室井其角住居跡
  ○ 日本橋日枝神社
  ○ 明徳稲荷神社
  ○ 智泉院福田会育児院



兜神社  中央区日本橋兜町1-12

  証券界の守り神とされる兜神社です。
  第一国立銀行の構内にあった兜稲荷社との関連も気になります。
  両社とも三囲神社から勧請を受けています。

     
 
    
 

<明治となり平将門は排斥>

 江戸時代後期、鎧の渡付近に平将門を祭ったと言われる鎧稲荷や平将門あるいは源義家所縁の兜塚が、
 信仰対象となっていたようです。

 明治4(1871)年、鎧稲荷と兜塚は、鎧の渡と兜橋の間に遷されました。
 この時に、兜塚をベースに源義家を御神霊として兜神社が創建されました。
 鎧稲荷(平将門を祀る)は兜神社と合併します。

 明治7(1874)年、兜神社は源義家の祭祀を廃して、三囲稲荷神社の境内摂社である福神社から、
 分霊により新しい御祭神をお祀りしています。

 平将門は天皇に逆らった朝敵であり、明治政府の命により平将門を祭る神社は祭神から外されました。
 明治7(1874)年に、築土神社は皇室とゆかりのある新たな祭神を歓請します。
 神田明神では、明治天皇が行啓する際、逆心の平将門が祀られているのはあるまじきこととして、
 明治7(1874)年に平将門を御祭神からはずしています(昭和59(1984)年に復権)。

 将門塚は、排斥運動から将門塚を保護するため、将門の怨霊譚が喧伝されたともされます(ウィキに記載)。
 大蔵官僚だった織田完之が復権運動に精力を傾け、「将門塚」に古蹟保存碑を建立しています。

 兜神社は、現在では、この地域に伝説の残る平将門と源義家とは関係が切れた神社となっています。
 

<兜岩>

 境内に兜岩と呼ばれる岩があります。

 東京証券取引所の兜岩の項目に、確たる裏付けがあるわけではないようですがとしていますが、
 3つの由来が掲載されています。簡略して記載すると、

 1.後三年の役(1080年代)で、源義家が奥州から凱旋した際、東夷鎮定の祈願を兼ねて記念のため、
   兜を楓川の辺の土中に埋めて塚を作り、兜塚と呼ばれたのが、兜岩となった。
 2.前九年の役(1050年代)で、源義家が奥州征伐に向かう際、岩に兜をかけて戦勝を祈願したことから、
   この岩を兜岩と呼ぶようになった。
 3.承平の乱(935-940年)で、藤原秀郷が平将門の首を打って京都へ運ぶ際、
   平将門の打首に兜を沿えていたのですが、この地で兜だけ土中に埋め塚を作って供養した。
   この塚を当時は兜山と呼んだそうですが、そこに兜神社が建ち、いつしか兜岩だけが残った。

    



鎧の渡し跡

 日本橋川に架かる「鎧橋」の袂にモニュメントと説明板があります。

(説明文)
「 鎧の渡し跡
  所在地 中央区 日本橋小網町八・九番
          日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番
 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
 伝説によると、かってこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一〇四六〜五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 この渡しは、明治五年(一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図絵』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
  縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
  逆さにうつる 鎧のわたし
              和朝亭 国盛
 平成二十年三月  中央区教育委員会 」

    

   
 

「江戸名所図会 鎧之渡」

 江戸名所図会に描かれている「鎧之渡」です。
 対岸の連なる土蔵が圧巻です。

  
 

「名所江戸百景 鎧の渡し小網町」(広重)

  
 

「絵本江戸土産 鎧の渡」(広重)

 「小網町の河岸にあり この所より行徳及び上総木更津登戸の便船あるをもて
  行路の貴賎おのづから集まり夜陰に及びてこの所を出帆す」

  
 

「東都三十六景 鎧の渡し」(二代広重)

  
 

「江戸勝景 よろゐの渡し」(広重)

  
 

「江戸名所道戯尽 十三 鎧のわたし七夕祭」(歌川広景)

 鎧のわたしの七夕の光景です。七夕飾りをつけた竹が風に大きく揺れています。
 風で筆の七夕飾りが渡し船の女性の股間に落ちています。
  
  



鎧橋 日本橋兜町〜日本橋小網町

<お地蔵さま> 右岸下流(日本橋茅場町)

 説明板「鎧の渡し」の下流側に、お地蔵さま。

    
 

<説明板「鎧橋」> 左岸下流(日本橋小網町)

 左岸下流に説明板「鎧橋」があります。
 谷崎潤一郎「幼少時代」の一部が紹介されています。
 「鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れを見つめていると、この橋が動いているように見える・・・・・
  私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・
  対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように
  日本離れした空気をただよわせている。」

    
 

 トイレの壁に鎧武者が描かれたタイル画

  
 

<左岸上流> 日本橋小網町

 「皇太子殿下御成婚記念」標柱と、国旗掲揚塔があります。

 「御成婚記念
  昭和34年4月吉日 建立
  題字 正田貞一郎翁
  建立 小網総町」

 「瑞祥」の題字は正田貞一郎翁の書です。
 正田貞一郎翁は、日清製粉株式会社の創業者。美智子上皇后の祖父。

    

    
 

 「メイゾン鴻乃巣創業の地」 中央区日本橋小網町9-9

  多くの文人が集った西洋料理店がかつてありました。

  
 

<右岸上流> 日本橋兜町

  
 

「鎧橋之景」(井上安治)

 遠景に第一国立銀行と澁澤邸が見えます。

  
 

「鎧橋夜」(井上安治)

 第一国立銀行がシルエットで浮かび上がっています。

  
 

「東京小網町鎧橋通り吾妻亭」(井上安治 明治21(1888)年)

 明治21(1988)年にトラス橋に架けかえられた鎧橋が描かれています。
 日本橋小網町にあった西洋料理店「吾妻亭」、馬車や人力車、自転車、牛乳などが描かれています。
 鎧橋の向こうには、ダブルスターの社章がひらめく第一国立銀行が見えます。

  



海運橋親柱  中央区日本橋1-20先 日本橋兜町3先

 海運橋親柱が「かいうんはし」と「海運橋」の2基あります。

(説明板)
「海運橋親柱
  所在地 中央区日本橋一−二〇先
         日本橋兜町三先
 海運橋は、楓川が日本橋川に合流する入り口に架けてあった橋です。江戸時代初期には高橋とよばれ、橋の東詰に御船手頭向井将監忠勝の屋敷が置かれたので、将監橋とか海賊橋と呼ばれていました。御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆ともいっていたためです。
 橋は、明治維新になり、海運橋と改称され、同八年に、長さ八間(約十五メートル)、幅六間(約十一メートル)のアーチ型の石橋に架け替えられました。文明開化期の海運橋周辺は、東京の金融の中心として繁榮し、橋詰にあった洋風建築の第一国立銀行とともに、東京の新名所となりました。
 石橋は、関東大震災で破損し、昭和二年鉄橋にに架け替えられました。このとき、ニ基の石橋の親柱が記念として残されました。鉄橋は、楓川の埋立てによって、昭和三十七年撤去されましたが、この親柱は、近代橋梁の遺構として、中央区民文化財に登録されています。
   平成六年三月    中央区教育委員会」

<かいうんはし>

    
 

<海運橋>

    
 

「東京名所三十六戯撰 開運はし」(昇齋一景 明治5(1872)年)

 当時、東京の新名所の一つであった第一国立銀行を背景に、開運橋で写真を撮ろうとしていたら、人が突っ込んできています。
 開運橋は明治8年に石橋になっていますが、描かれているのは石橋になる前の木橋です。

  
 

「海運橋・(第一銀行雪中)」(小林清親)

 雪の海運橋と第一国立銀行を描いています。
 女性の和傘には「銀座」「岸田」の文字、楽善堂の宣伝ですね。
 渋沢栄一は明治元(1868)年から明治2(1869)年まで、民部省に出仕するまで、静岡藩に出仕しています。
 小林清親も慶喜公に付き従い明治元(1868)年に静岡に移住しています。
 何か思うところがあって、描いたのかどうか知る所以なきところです。

  
 

「東京名所 海運橋」(井上安治)

 井上安治が海運橋を描いています。後方に第一国立銀行のシルエットが見えます。

  
 

「東京名所帖 海運橋」(井上安治(井上探景)明治20年)

 小林清親の弟子井上安治が描いた石橋の海運橋です。第一国立銀行がそびえています。

  



電燈供給発祥の地 中央区日本橋茅場町1ー3ー10

 日本で最初の火力発電所が、こんな都心にあったのですね。

 兜町歴史地図に記載されていた「電燈供給発祥の地」ですが、
 地図に記載されていた場所が違っていたので、迷いました。
 相鉄フレッサインの前にありました。

   
 

 この碑は、昭和62(1987)年1月に東京電力株式会社が設置しました。

 東京電燈株式会社は、日本初の電力会社で、渋沢栄一らが発起人となり設立された会社です。
 明治20年(1887年) 11月21日東京電燈会社がこの地にわが国初の発電所を建設し、
 同月29日から付近に電燈の供給を開始しました。

 明治42(1909)年10月27日、渋沢団長の渡米実業団はエジソン電機会社を訪ね、
 渋沢栄一はエジソン夫妻と会見しています。
 

(碑文)
「明治20年(西暦1887年) 11月21日東京電燈会社がこの地にわが国初の発電所を建設し、同月29日から付近の日本郵船会社、今村技能、東京郵便局などのお客様に電燈の供給を開始いたしました。これが、わが国における配電線による最初の電燈供給でありまして、その発電設備は直立汽缶と、30馬力の横置汽機を据付け、25キロワットエジソン式直流発電機1台を運転したもので、配電方式は電圧 210ボルト直流三線式でありました。」

 日本で最初の火力発電所が、こんな都心にあったのですね。
 この碑は、昭和62(1987)年1月に東京電力株式会社が設置しました。
 東京電燈株式会社は、日本初の電力会社で、渋沢栄一らが発起人となり設立された会社です。
 明治42(1909)年10月27日、渋沢団長の渡米実業団はエジソン電機会社を訪ね、渋沢栄一はエジソン夫妻と会見しています。

    



宝井其角住居跡  中央区日本橋茅場町1-6-10

 「其角住居跡」

  昭和45年11月、日本勧業銀行茅場町支店の建立で、頭取の筆です。
  宝井(榎本)其角(1661〜1707)は、蕉門十哲と称された芭蕉の門下10人のひとりです。

     



日本橋日枝神社  中央区日本橋茅場町1-6-16

<江戸名所図会 茅場町薬師堂>

 「此辺傘屋多し」だそうです。

  
 

<天を仰ぐ狛犬> 

 参道はビルに挟まれています。
 天を仰ぐ(天に吠える)珍しい狛犬です。

     

    



明徳稲荷神社  中央区日本橋茅場町1-6-16

 明徳稲荷神社は、日本橋日枝神社と境内を接しています。
 翁稲荷、祇園稲荷を合祀しています。幟に「翁」「祇園」の文字が見えます。
 合祀されている翁稲荷は、流行り神として江戸時代末に大いに流行り、浮世絵にも描かれました。

    
 

「奪衣婆と翁稲荷の首引」(一勇斎国芳 嘉永2(1849)年)

 江戸時代末から大いに流行った内藤新宿の正受院の奪衣婆と日本橋の翁稲荷大明神が首引きをしている場面が描かれています。
 翁稲荷には狐、奪衣婆には三途の川の渡し馬が、それぞれ応援しています。

  



智泉院  中央区日本橋茅場町1-5-13

 日枝神社裏門から境内を出ると、神仏混合の名残である智泉院や薬師堂にあった天水桶があります。

     

     

(説明板)
「 智泉院
所在地 中央区日本橋茅場町一‐五‐十三
 鎧島山智泉院(天台宗)は、台東区上野の寛永寺の末寺にあたる寺院で、寛永十二年(一六三五)に創建されました。徳川家康の知遇を得た天海大僧正の発意によって開かれたと伝えられています。本尊の薬師如来は。平安時代中期の恵心僧都(源信)作と伝えられ、江戸時代には山王権現の本地仏として、山王御旅所(現在の日枝神社)内にありました。明治時代の廃仏棄釈などの影響もあり、現在は川崎市の等覚院に安置されています。
 江戸時代には、病を治す利益のある薬師信仰が盛んで、この智泉院も「茅場町薬師」と呼ばれて江戸庶民の信仰を集めました。毎月八日と十二日には縁日が開かれ、特に夕方からの植木市は大変な賑わいを見せたと言われています。
 瑠璃殿前の天水鉢は、天保十二年(一八四一)に本尊が開帳されたのを記念し、当時の坂本町(現在の日本橋兜町)の人々によって奉納されました。
当時有名な鋳物師であった釜屋七右衛門(通称釜七)によって鋳造されたもので、中央区民文化財に登録されています。
 また境内に立つ銅製の地蔵尊は、本小田原町(現在の日本橋本町・日本橋室町)生まれの彫刻家、戸張弧雁(一八八二〜一九二七)の作品と思われます。関東大震災で亡くなった人々の霊を弔うため、日本橋魚河岸から依頼を受けて制作され、昭和二年(一九二七)に完成しました。こちらも、中央区の歴史を語る貴重な文化財として、中央区民文化財に登録されています。
   平成二十三年六月   中央区教育委員会」



福田会育児院(現在:社会福祉法人福田会

 福田会育児院は、1879(明治12)年6月、智泉院内に設けられた育児施設です。
 育児院開院の際には、渋沢栄一は会計監査委員として協力しています。
 会計監査委員として、渋沢喜作や大倉喜八郎の名前もあります。


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