○ 東京商工会議所 初代会頭渋沢栄一像
○ 東商渋沢ミュージアム
○ 青淵澁澤榮一像 常盤橋公園
○ 渋沢栄一と帝国ホテル
○ 渋沢栄一とガス事業
○ 渋沢栄一と電力事業
○ 渋沢栄一と製紙業
○ セメント工業発祥の地
「初代会頭 渋沢栄一像」の等身大像が、1階メイン通路に設置されています。
「平成30年12月 創立140周年・新ビル竣工記念」です。
会頭就任時の36歳の姿に近い43歳時の写真をもとに再現されています。
<展示「受け継がれる渋沢栄一の精神」>
1階ロビーで、展示「受け継がれる渋沢栄一の精神」が行われています。
○東商渋沢ミュージアム 千代田区丸の内3-2-2 丸の内二重橋ビル6階
2019年11月1日オープン。
開館時間 平日 9:30‐16:30(土日祝休館)
場 所 東京商工会議所 本部ビル6階
入 館 料 無料
そ の 他 渋沢グッズ(箸・湯呑み・ノート)販売
土日祝休館で機会がありませんでしたが、ようやく行くことができました。
6階エレベーターホールを出て左へ進むと左手にこじんまりとした渋沢ミュージアムがあります。
<関東近隣渋沢栄一の主な銅像>
ここに掲示されている銅像の他に、澁澤倉庫や清風亭、渋沢史料館にもあります。
見ていませんが全社協にもあります。自分のところの東商に計3つあり。
<渋沢栄一像>
1階の等身大の像に比べるととても小さい渋沢栄一の像が2体あります。
<渋沢栄一直筆の書「道之以徳齊之以禮」>
昭和2(1927)年の滝野川警察署新築にあたって、渋沢栄一は同署協賛会会長を務めて新築を支援しました。
渋沢栄一が新庁舎落成を記念してしたためた「道之以徳齊之以禮」が署長室に飾られています。
実物は見学できないので、写真が掲示されています。
常盤橋公園は日本橋川を挟んで日本銀行本店本館の向い側に位置しています。
日本橋川に架かる常磐橋(橋名は「磐」の文字)、国指定史跡「常盤橋門跡」「青淵澁澤榮一」像があります。
渋沢栄一像は、戦時金属供出により撤去されましたが、昭和30(1955)年再建されています。
初代、2代目とも、朝倉文夫氏の製作です。
常盤橋公園は、常盤橋地区再開発工事のため平成29(2017)年4月から、2027年度まで閉鎖されていますが、
渋沢栄一像のスペースは囲われていないので、見学可能です。
修復工事中だった常磐橋は、令和3(2021)年5月10日に工事完了・開通しました。
(碑文)
「青淵澁澤榮一翁は 天保十一年埼玉縣の農家に生れたが時勢に激して志士となり 後轉じて幕臣となつて 慶應三年歐州に赴き 民主主義自由主義を知る機會を得た 歸朝後大蔵省に仕官して諸制度の改革に當ったが 明治六年退官し 同年創立された第一國立銀行の頭取となり 爾来産業経濟の指導者成に任じ開與した會社五百 常に道徳経濟合一主義を唱えて終生之を實錢し我が國運の發展に偉大な貢獻をした。また 東京市養育院等社會事業の助成 一橋大學日本女子大學等實業及び女子教育の育成 協調會等による勞資の協調 日華日米親善等世界平和の促進、道徳風教振作のために九十二歳の高齢に達するまで盡力し 昭和六年十一月十一日に逝去した。
翁の歿後 財界有力者によりその遺徳顯彰の目的で設立された澁澤青淵翁記念會が 昭和八年此処に銅像を建立したが 第二次世界大戦中金属供出のために撤去された 然るにこのたび 銅像再建の聲が盛り上がり各界の有志によって 再び朝倉文夫氏に製作を委嘱し舊位置にこの銅像を建て 東京都に寄附したのである
昭和三十年十一月 澁澤青淵記念財團龍門社」
<台座>
台座前面の題字「青淵澁澤榮一」は、渋沢栄一子爵ご本人の筆蹟です。
銅像は戦時供出されましたが、台座は残り、銅像は朝倉氏により
原型によって改鋳され昭和30年に再建されました。
裏面の「昭和八年十一月十一日 財団法人渋沢青淵翁記念会建之」の文字は、
男爵中島久万吉氏の揮毫にかかります。
【除幕式】
昭和8年11月11日14時30分から16時にて除幕式。天候は細雨。列席者700名(スゴイ人数です)。
作者の朝倉文夫氏も出席し、渋沢雅英君と除幕に当たる。
来賓総代として山本達雄内務大臣が祝辞を述べ、遺族総代として渋沢敬三氏が挨拶を述べる。
(建設経過)
昭和3年10月1日、帝国劇場での渋沢翁の米寿祝賀会で寿像の建設が決議されました。
昭和6年7月旧常盤橋門趾公園予定地を建設敷地と定める。同年11月に渋沢翁逝去。
昭和8年5月10日起工、同年11月9日竣工(施工:清水組)。
(渋沢栄一記念財団のデジタルアーカイブの複数ファイルから抜粋してまとめました。)
帝国ホテルは、1890(明治23)年、明治政府の要請に応じ、渋沢栄一や大倉財閥設立者の大倉喜八郎、
三井物産を創設した益田孝などが設立発起人となり、開業しました。
渋沢栄一は、開業以来19年間経営を舵取りし、初代会長を務めました。
<銅像三基>
帝国ホテルに、胸像が3基並んでいます。
木々に遮られて存在がわかりにくいです。
左から順に見ていきます。
「犬丸徹三翁寿像」
ブロンズ像です。
「昭和三十年十二月吉日 株式会社帝国ホテル従業員並有志一同」
犬丸徹三は、大倉喜七社長の後の帝国ホテル社長です。
「男爵大倉喜八郎像 BARONK.OKURA」
大理石の像です。
大倉喜八郎は、渋沢栄一の後の会長です。
「子爵渋沢栄一像 VISCSHIBUSAWA」
この胸像は、渋沢栄一が会長職を辞した16年後(当時86歳)の1925(大正14)年に造られました。
養育院の像と同じ大正14年の造立です。
大理石の像なので、戦時金属供出にあっていません。
1926(大正15)年7月13日、渋沢栄一の寿像除幕式が開催されました。
帝国ホテル社長大倉喜七郎が式辞を述べ、渋沢栄一が答辞を述べました。
〇企画展示「日本資本主義の父 渋沢栄一と帝国ホテル」
帝国ホテルの初代会長、渋沢栄一の偉業や功績を紹介する企画展示が
2021年2月13日(土)〜2022年1月31日(月)の予定で、
帝国ホテル内常設展示スペース「インペリアル タイムズ」において、開催されています。
<インペリアルタイムズ案内>
<展示>
「渋沢栄一と帝国ホテル」年表
帝国ホテルでの渋沢翁の様子
また以下の2か所でも企画展示が行われています。
・本館中2階フランス料理「レ セゾン」横
赤煉瓦とチョコレートのオブジェ"KINONE"(キノネ)
・本館中2階エレベーターホール
渋沢翁のコルクアート肖像画
※渋沢栄一が起こした企業は多数で、帝国ホテルのほかにもこれらの会社が実施する企画展が見受けられます。
・東京ガス「渋沢栄一とガス事業」
東京ガスの創設者である渋沢栄一とガス事業の企画展です。
https://www.gasmuseum.jp/gallery/
2階展示スペースで「渋沢栄一とガス事業」展示。撮影禁止だったので、パンフのみ。
1階展示スペース
<煉瓦造りの展示館>
2棟の展示館は明治時代に建てられた東京ガスの煉瓦造りの社屋を移設・復元しています。
「ガス灯館」は、明治42年建築の東京ガス本郷出張所の建物、
「くらし館」は明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室の建物の移設・復元です。
都電「王子駅前」の脇にあるサンスクエア敷地内に「洋紙発祥之碑」があります。
<日本最初の近代産業の出発点 洋紙発祥の地 王子>
新たな説明パネルが、リトルマーメイド王子店の横、「洋紙発祥之碑」の後ろに
大河ドラマ「青天を衝け」スタート前の2月に設置されています。
<洋紙発祥之碑>
大理石に銅板がはめ込まれています。
台座がヤギ!です。
(説明板)
「洋紙発祥の碑
日本の洋紙生産は。明治六年 (一八七三年) ヨーロッパの先進文明を視察して帰国した渋沢栄一
が「抄紙会社」を設立し, ここ王子に製紙工場を作ったことから始まりました。
田圃の中、煙を吐くレンガづくりの工場は、当時の錦絵にも描かれ、東京の新名所になりました。その後日本の製紙業に大きな役割を果たしましたが、昭和二十年(一九四五)、戦災によりその歴史を閉じました。
この碑は、工場創立八十周年を記念し、昭和二十八年、その跡地に建てられたものです。 日本製紙株式会社」