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 山谷堀@ 山谷堀A 山谷堀B

  ○ 山谷堀公園改造工事終了
  ○ 潮江院三笑亭可楽墓


山谷堀公園改造工事終了 台東区浅草7-11

 最終の山谷堀公園改造工事(第3期)が2019年8月1日から開始され、2020年3月27日に竣工しました。
 今戸橋から聖天橋まで、新たな掲示板やオブジェが設置されています。
 
    

     

<山谷堀公園 山谷堀ヒストリカルツアー>

(説明板)
「山谷堀ヒストリカルツアー 山谷堀公園
 ここは、かつては山谷堀と呼ばれる水路であったが、経済成長に伴う水質汚濁と悪臭が問題となり、東京都により昭和51年(1976)頃から暗渠化された。区がその上部を公園として整備し、昭和52年以降に山谷堀公園として開園した、幅約9メートル、長さ約740メートルの公園である。平成29年(2017)から令和2年(2020)、老朽化により全面改修工事を実施した。隅田公園から桜の並木が続き、春は桜越しに東京スカイツリーを眺めることのできるビューポイントとなっている。
 埋め立てられる前の山谷堀には、下流から、今戸橋・聖天橋・吉野橋・正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋・日本堤橋の9つの橋が架けられていたが、埋め立てに伴い、全て取り除かれている。公園の両側にある護岸や橋の親柱が、水路であった面影を残している。」

    

  

「江戸名所図会」

 江戸名所図会にも、山谷堀が描かれています。

  

<待乳山・今戸橋 山谷堀ヒストリカルツアー>

(説明板)
「山谷堀ヒストリカルツアー 待乳山・今戸橋
 待乳山は現在の浅草7丁目にある小高い丘で、真土山・真乳山とも書かれた。聖天様をお祀りする「待乳山」は、地中より突然隆起して現れた霊山で、その時金龍が天より降って守護したと伝えられている。江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌の題材にもなっている。
 江戸時代、待乳山でお参りをし、天狗坂(待乳山聖天境内)を下っていくと隅田川と山谷堀の合流する地点にある今戸橋にでた。今戸橋界隈は茶屋や船宿が立ち並び、夜景を描いた浮世絵の窓の灯りからも、賑わっていた様子がうかがえる。
 浅草聖天町出身の池波正太郎作の「鬼平犯科帳」の中にも、今戸橋の近くにある船宿が登場している。」

     

「東都名所 真土山之図 (初代広重)」(国会図書館蔵)

  

「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景(初代広重)」(国会図書館蔵)

  

今戸焼 山谷堀ヒストリカルツアー>

(説明板)
「山谷堀ヒストリカルツアー 今戸焼
 今戸焼とは、江戸時代から明治時代を中心に、今戸やその周辺で焼かれてきた焼き物で、かつては江戸を代表する焼き物として繁栄していた。今戸焼職人は瓦や日常の生活道具などを製造販売して、庶民の需要に応えていた。
 今戸焼の土人形は、江戸東京の代表的な郷土玩具で、今戸人形と呼ばれ親しまれたが、明治半ば頃には衰退してしまった。関東大震災(1923)後、今戸人形の伝統を引く製作者だった「尾張屋」金沢春吉(1868〜1944)の尽力によって一時復興したが、春吉の死後その動きも弱まった。現在では、受け継がれた型や製法を基に職人が製作を続けているが、周辺の都市化や震災・戦災などにより多くが区外へ移り、今戸に1軒を残すのみである。台東区では「今戸焼作り」の技術を区の生活文化財に指定し、人形や寺社の縁起物の製造をおこなっている職人を今戸焼の技術の継承者として認定している。」

   

    

「東都名所之内 隅田川八景今戸夕照(二代広重)」(国会図書館蔵)

 今戸では瓦を焼いています。

  

「江戸自慢三十六興 今戸焼物(二代広重)」(国会図書館蔵)

  

「江戸名所百人美女 今戸」(豊国・国久)

 こま絵には、隅田川を猪牙舟が多く行き交い、瓦窯が二基見えます。
 対岸の屋根は、三囲でしょうか。

   

「今戸夏月」(小林清親 国会図書館蔵)

 二代広重や三代豊国と同様の構図で小林清親が描いています。

  

「小梅」(井上安治 国会図書館蔵)

 タイトルは「小梅」ですが、向岸の今戸の瓦焼竃が圧巻です。
 明治の初期も今戸焼全盛だった様子がうかがえます。

  

「浄るり町繁花の圖」(広重 嘉永5(1852)年 国会図書館蔵)

 掲示説明抜粋
 「嘉永5(1852)年の歌川広重の錦絵「浄瑠璃繁華の図」には
  丸〆と書かれた提灯の下で招き猫を人形を手に持つ人物が画かれています。」

   

「江戸名所図会 今戸焼」

 江戸名所図会にも今戸焼が描かれています。

  

「絵本江戸土産 今戸瓦竃」(広重)

 今戸辺りを描いています。

  

「名所江戸百景 墨田河橋場の渡かわら竈」(広重)

 こちらは、橋場辺りを描いています。

  

「絵本隅田川両岸一覧」(北斎)

 北斎の絵本隅田川両岸一覧から、今戸部分の抜粋です。瓦が見えます。

  

「招き猫」
 最初のオブジェは招き猫。

(説明板)
「招き猫
 顔を横に向けて手を挙げているこの猫は、道具として使われる招き猫で、本来は背中が開いており、底に灰を敷いて炭を置き、点火用の火種をいけておくためのものでした。
 招き猫人形の資料として、嘉永5年(1852)の藤岡屋日記「浅草観音猫の由来」と武江年表に、三社権現(現・浅草神社)鳥居の傍らで、老女が今戸焼の丸〆猫、招き猫を並べて商う旨が記されており、同年の歌川広重の錦絵「浄瑠璃町繁華の図」には、◯〆とか書かれた提灯の下で招き猫の人形を手に持つ人物が描かれています。」

   

「河童」
 カッパはたくさん見てきました。

(説明板)
「河童
 これは道具として使われる河童で、本来は背中が開いており、底に灰を敷いて炭を置き、点火用の火種をいけておくためのものでした。台東区の昔話には、隅田川の河童の縁起物の焼き物になったお話「今戸のかっぱ」があります。」
 
   

「福助」「お福」

(説明板)
「「福助」「お福」
 台東区有形民俗文化財の型を基に復元したもので、夫婦にして飾られる縁起物です。江戸時代、近くには江戸歌舞伎興隆の場となった浅草猿若町がありました。夫婦の会話に歌舞伎役者と今戸焼の「福助」が出てくる落語「今戸焼」は、江戸庶民の日常の機微を伝えています。」

   

「踊り雀」

(説明板)
「踊り雀
 台東区有形民俗文化財の原型を基に復元したものです。「雀百まで踊り忘れず」の諺や、おじいさんを踊りで和ませる雀が登場する「舌切りすずめ」の昔話があります。」

   

「座猫」

(説明板)
「座猫
 顔を横に向けて座っているこの猫は、台東区有形民俗文化財の型を基に復元したものです。大小様々な座猫や招き猫の人形の型が今も受け継がれており、このように顔を横に向けて座る猫の姿は、江戸時代の錦絵にも描かれています。」

   

「鉄砲狐」
 最後です。すべてのオブジェが勢揃い。

(説明板)
「鉄砲狐
 正面を向いて台座の上に座っているこの狐は、台東区有形民俗文化財の型を基に復元したものです。顔を横に向けて座っているものや大小様々な狐の型から姿形が受け継がれており、今も稲荷神社の授与品として作られています。
 江戸時代に稲荷勧請が流行り、今戸焼職人以外の人たちも内職として彩色をしている様子が「今戸の狐」のお噺に残されています。」

   


潮江院 台東区今戸1-6-7

 山谷堀公園沿いに潮江院があります。三笑亭可楽墓があります。

    

     

三笑亭可楽墓>

 本堂正面右から回り込むと墓地に出ます。
 本堂真裏に可楽の墓があります。
 墓の基台に三笑亭と刻まれています。4〜5人の戒名が並んでいて、
 右端に「三笑亭安誉可楽信士 天保四巳年三月八日」とあります。
 卒塔婆は三笑亭安誉可楽信士の追善菩提塔で、九代目可楽とあります。

    

     

<開山墓所>

  


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