Discover 江戸史蹟散歩
 
 かっぱ橋
  ○ かっぱ橋本通り
    ・かっぱ橋本通り明和会
    ・合羽橋本通り商和会
    ・かっぱ橋かおう会商店街
    ・かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合
  ○ かっぱ橋道具街
  ○ 萩原楽一画伯

 新寺町(旧松葉町)※別頁
  ○ 矢先稲荷神社
  ○ 玉川兄弟墓
  ○ 本覚寺
  ○ 曹源寺(かっぱ寺)
  ○ 海禅寺

 新寺町(旧浅草北清水町)※別頁
  ○ 源空寺

 新寺町(旧浅草芝崎町)※別頁
  ○ 本然寺
  ○ 萬隆寺

 寺町(旧浅草松清町)※別頁
  ○ 東本願寺 ※別頁
  ○ 等光寺  ※別頁

 新寺町(元浅草)※別頁
  ○ 誓教寺 


かっぱ橋本通り

 かっぱ橋本通りは、浅草の国際通りから上野駅入谷近くの昭和通りまでの、1.2キロにわたる道です。
 寛永寺の高僧が浅草寺に詣でる「御成道」として整備されました。
 (かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合HPより引用)

<「合羽橋」の由来>
  「合羽」の由来は2つの説があります。
  ひとつは、今はない新堀川の整備を行った雨合羽の商人、合羽屋喜八のはなし。
  今から200年ほど前の文化年間の時代。この辺りは水はけが悪い低地で、雨が降るたびに洪水となり、
 人々は困り果てていました。そこで、合羽屋喜八が私財を投じて、水路をつくる工事に着手。
 しかし工事はことのほか難航しました。これをみた隅田川の河童たちが同情し、喜八の良心にも心を打たれて、
 夜な夜な工事を手伝い、工事は無事に完成したと言い伝えられています。
 通称かっぱ寺とよばれる曹源寺には、合羽屋喜八の墓があります。
  もうひとつの説は、橋の近くにあった、伊予新谷加藤家下屋敷にまつわるはなし。
 屋敷に住んでいた下級武士たちは、内職に雨合羽を作っていたそうです。
 その雨合羽をこの橋にかけて乾かしていたことから「合羽橋」と呼ばれるようになったと言われています。
 (かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合HPより引用)

<商店街> 上野→浅草
 「かっぱ橋本通り明和会」
 「合羽橋本通り商和会」
 「かっぱ橋かおう会商店街」
 「かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合」


かっぱ橋本通り明和会

 国道4号線から、清洲橋通りまで2車線の商店街ですが、店はまばらでマンションが目立ちます。
 歩道にはかっぱの絵と街路樹の踏み固め防止板が続きます。

 歩道のかっぱは、荻原楽一氏の作品。女の子のかっぱの作品が多いのですが、こちらは男の子です。

     

東京メトロ上野検車区> 台東区東上野4-25-2

 国道4号から入って右手に東京メトロの上野検車区があります。

   

<東京メトロ銀座線踏切>

 東京メトロ上野検車区の出入口に、銀座線の踏切があります。

     

     

     

北上野児童遊園> 台東区北上野1-1-14

 児童遊園の入口の歩道にかっばの絵と、かっぱの足跡があります。
 遊園内には石の丸イスにかっぱが描かれています。キュウリの椅子が2つ。
 時計塔にはカッパのパネルが2枚。カッパがスマホをぶらさげています。

     

   

    

      


合羽橋本通り商和会

 「かっぱ橋本通り明和会」から清州橋通りを横切ると「合羽橋本通り商和会」です。
 ここからは、浅草方面へ向かっての一方通行となります。
 カッパがキュウリを持っています。

     

   

瞑想かっぱ> 台東区北上野2-1-1

 座禅を組んで瞑想するかっぱです。

    

<シミズパン> 台東区東上野6-27-7 03-3841-1862

     

<ビバノンノン足湯カッパ> 台東区東上野6-30(東京東信用金庫合羽橋支店)撤去


かっぱ橋かおう会商店街

 「合羽橋本通り商和会」から、「かっぱ橋かおう会商店街」へと続きます。
 楽一とありますので、初代か2代目の荻原楽一の作品ですね。

    

<正法寺前の縛られ河童> 台東区松が谷2-31-7

 グーグルマップにも掲載されてるので少々驚きました。
 正法寺は、関東大震災後に中野区沼袋へ移転しています。

     

<肉のさがみ屋> 台東区松が谷2-31-10

 頭にカエルを乗せている「蛙かっぱ」と「きっちゃん」。詳細不明。

   

<河童のお面をつけた少年と河童> 台東区松が谷2-27-10

 河童のお面を頭につけた少年です、というか裏から見ると甲羅があります。
 ふくろうみたいな河童が少年に寄り添っています。

     

<仙台屋> 台東区松が谷3-3-2

 なかなかいかした福かっぱです。荻原楽一さんの作品ですね。2代目でしょう。

   

<極楽カッパ> 台東区松が谷2-25-5極楽屋陶器店前

 KAPPAと描かれた甲羅をしょっています。

    

<さらざんまいマンホール蓋> 台東区松が谷2-25-8

 「かっぱ橋本通り」と「かっぱ橋道具街通り」が交差する合羽橋交差点に、「さらざんまいマンホール蓋」があります。
 令和3(2021)年4月13日に設置。

   


○下町まちしるべ 旧松葉町 台東区松が谷3-8-1

 「旧松葉町
  この付近は元禄十一年(1698)に勅額火事といわれる大火に見舞われ焼失した。跡地
 には多くの寺院が移転し、門前町が開かれに伴って新寺町と呼ばれるようになった。
  本町は、明治二年(1869)それまであった浅留町と浅草坂本町に付近の門前町がひと
 つになってできた。町名は新寺町の名主高松喜内の「松」と坂本町名主二葉伝次郎の「葉」を
 とって名付けられた。
  町内に「河童大明神」で知られる曹源寺がある。昔、このあたりは土地が低いため雨が降
 るとたちまち水が出て人々は苦しんでいた。雨合羽商の合羽川太郎は、これを見てだまっ
 ていられず排水のための堀割を作ろうとしたが工事は思うように進まない。そこにかつて
 川太郎に助けられたという河童が出てきて川太郎の工事を手伝い、困難な工事をまたたく
 まに完成させたという。このようなことから曹源寺には川太郎の墓とともに河童が大明神
 としてまつられたという。」

    


台東区のへそ 台東区松が谷3-8-1

 かっぱ橋本通りに台東区のへそ表示板と、「かっぱのたいちゃん」(女の子)の像。
 「ここが台東区のまん中 つまり「へそ」と言われている 台東区」
 ボールを頭上に持ち上げた河童像です(背中に甲羅があるので河童です)。
 こちらのカッパも、制作は荻原楽一氏。

     

<かっぱのたいちゃん>

 かっぱの名前は「たいちゃん」。台東区にちなんでいるのでしょうが、男の子のような名前です。

  


曹源寺(かっぱ寺) 台東区松が谷3-7-2

 1814(文化11)年に雨合羽商の合羽屋喜八が曹源寺に葬られ、かっぱ寺と呼ばれるようになりました。
 寺標は「かっぱ寺 三毘沙門天 河童大明神 出世地藏尊」

     

<かっぱ寺の伝承>

「かっぱ寺の伝承  台東区松が谷三丁目七番二号 曹源寺
 巨獄山曹源寺は曹洞宗に属し、天正十六年(一五八八)に和田倉(千代田区)に開かれ、のち湯島天神に移り、明暦の大火(一六五七)の後、現在地に移転したと伝える。当寺の通称を「 かっぱ寺 」という。
 伝承によると文化年間(一八〇四?十七)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(合羽屋喜八)という人物がいた。この付近は水はけの悪い低地で雨が降ると洪水となり、人々は困窮していた。そのため川太郎は私財を投じて排水のための堀割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、堀割工事が完成した。この河童を目撃すると商売繁盛したという。
 この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
 当寺には河童大明神が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている。
  平成十五年三月  台東区教育委員会」

   

<かっぱのぎーちゃん>

 山門入って、すぐ右手に木彫りの河童の顔面像があります。
 芸大生の作品らしいです。

   

<合羽屋喜八の墓>

 合羽屋喜八の墓は、下部は波形の台石に、上部は皿のような水鉢を戴いています。
 石碑表面には、
 「てつへんに手向けの水や川太郎 十寸尾」
 と刻まれています。

 「宝水 あふれて盡きじ 富久河童」の句碑が横に建っています。

     

 墓の後ろには、色々な河童が刻まれたレリーフ石板があります。

    

 小便小僧河童(池らしきものがありますが水は出ていません)や夫婦河童などの河童に囲まれています。

     

      

<河童堂>

 山門入って右手に河童堂があります。
 「河太郎 義人」の扁額と、「睨み龍 駿堂の印」。
 賽銭箱には河童が描かれ、キュウリが奉納されています。

 河童様へのお唱えの言葉
 「オン・カッパヤソワカ」と唱えるとのこと。

    

   

    

 手塚治さんや水木しげるさんなど30数名が描いた河童の絵が天井画となっています。
 昭和28(1953)年に萩原楽一氏の呼びかけで、画家や漫画家が河童の絵を寄進したもの。

    

「河童大明神」が祀られています。

      

「縁起図巻」と「水虎之手(河童の手)」がケースの中に展示されています。

    


かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合

 合羽橋交差点から、浅草駅(つくばEXP)までが「かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合」となります。
 交差点の看板のカッパも、荻原楽一氏の作品ですね。

     

      

    

合羽橋跡> 台東区西浅草3-7-2

 「合羽橋跡  台東区西浅草三丁目七番二号
  この地点西方の合羽橋交差点の所に、橋が架けられていた。合羽橋である。橋梁台帳によると、昭和八年廃橋になったが、
 長さ約四メートル、幅十一メートルの橋だった。橋下の水路は新堀川・新堀といい、南流して鳥越川に合していた。
  寛文十一年(一六七一)刊の絵図に描かれているものの、創架年代は不明。初め無名橋で、のち橋畔の寺院名をとって清水寺橋といい、
 ついで合羽橋と呼んだ。近くに合羽屋があったので、合羽橋といったそうだ。文化年間(一八〇四〜一七)、合羽屋喜八、通称合羽川太郎が
 私財を投じ、隅田川に住む河童の助けを得て、新堀を開いたとの伝承がある。橋名由来はその伝承にちなむともいう。
  橋が繋いだ東西に伸びる道は合羽橘通りと呼ばれ、江戸初期から浅草・上野を結ぶ主要路として賑わい、今日に至る。
 昭和四十四年十月まで、合羽橋は都電停留場名になっていた。
  平成四年十一月  台東区教育委員会」

     

<旭屋> 台東区西浅草3-6-1

 旭屋は明治時代から続く祝儀袋の専門店。
 萩原楽一画のポチ袋、絵はがき、筆箋等を扱っています。

   

<あいかちゃん>

 合羽屋喜八に助けられた「かっぱ河太郎」の孫との設定です。
 かっぱ橋本通り公西会商店街振興組合の所属です。

   

<への河童> 台東区西浅草3-5-2萬藤合羽橋店

   

<韋駄天河童> 台東区西浅草3-5-1 撤去

  

<さらざんまいポスト> 台東区西浅草3-3-8

 かっぱ橋本通りに、緑色の「さらざんまいポスト」があります。
 令和3(2021)年3月10日に設置。

    

    

<浅草かっぱ村> 台東区西浅草3-3-3

 河童連邦共和国に加盟するかっぱ村は40拠点あり、浅草かっぱ村の村長が事務局長をしています。

    

    

栃木屋精肉店> 台東区西浅草3-7-1 03-3841-4608 10:00-19:30 日祝定休

 「栃木屋の肉でリッチな鍋の味 博柳」
 台東川柳人連盟、内田博柳理事長の句が飾られています。

 かっぱコロッケ120円とめんちかつ140円を購入(税別)。

 かっぱ橋本通りから伝法院通りに入ると、左手に浅草メンチがあります。
 あまりの行列に、こちらは購入を諦めました。

     

     
 
どぜう飯田屋> 台東区西浅草3-3-2 03-3843-0881

 平日午後3時まで、お得な定食があります。

    

   

<肉汁餃子製作所 ダンダダン酒場 かっぱ橋店> 台東区西浅草2-27-9 03-5830-7341

  

<カレーランド> 台東区西浅草2-24-7 03-5246-4950 11:00-19:00 定休火 ホームページ

 ご当地レトルトカレーの専門店として2013年に足立区で開店。2016年3月下旬、西浅草に移転。
 「ご当地レトルトカレー自販機」があり、各商品にコメントがあり親切丁寧です。

     

<かっぱ焼きそば 喜八> 台東区西浅草2-23-4 2F 03-3843-3078 11:00-14:00 17:00-21:00 定休月1・3日

 2019年8月23日にオープン。
 かっぱ橋本通りの一本裏道に、かっぱをイメージした緑色の一軒屋です。
 浅草開花楼特製麺を使用と掲示あり。
 スープ焼きそばが店内限定1日15食、気になります。

     

    

   

<カッパのオンパレード>

 この通りが一番カッパが多いです。
 カッパがキュウリを釣っていたり、カッパが皿回しをしている!のはうけました。
 シャッター絵で、スカイツリーを見上げるカッパも構図が良いです。

     

       

     

      


○旧町名由来案内「旧浅草田島町」 台東区西浅草2-11

「下町まちしるべ 旧浅草田島町
 江戸時代の頃、この地は高い石垣の本願寺と路を隔てて北にあったことから、北寺町と称されていた。
 明暦三年(一六五七)の大火後、神田須田町にあった誓願寺は門前町とともにこの地へ移ってきた。この誓願寺は、淨土宗京都知恩院の末寺で、田島山快楽院誓願寺といったことから、明治二年に誓願寺の山号にちなみ浅草田島町と称した。
 明治五年、誓願寺の西辺部に接する下級武士の屋敷と北西部にある安行寺を合併し町域を広げた。」

   

八幡神社> 台東区西浅草2-14-5

 浅草神社の兼務社です。

   


萩原楽一画伯

 浅草生まれ。1926(昭和元)〜2007/9/30
 2代目萩原楽一は、父の後を継いだ清水佐知子さん。

 ・歩道のかっぱ絵
   歩道は男の子のかっぱです。

 ・かおう会商店街
   ペナントのかっぱ絵。仙台屋ローソク店には福かっぱ。

 ・かっぱのたいちゃん
   昭和38(1963)年に設置。

 ・かっぱ寺の天井河童
   昭和28(1953)年に萩原楽一氏の呼びかけで、画家や漫画家が河童の絵を寄進したもの。

 ・屋号看板
   昭和52(1977)年に萩原楽一氏のデザインで屋号の看板ができあがりました。街路灯にも使用されています。

 ・交差点看板
   合羽橋交差点と公園六区交差点の看板にかっぱ絵。

 ・旭屋 台東区西浅草3-6-1
   萩原楽一画のポチ袋、絵はがき、筆箋を扱っています。

 ・陶板レリーフ「カッパ」
   原画:萩原楽一 台東区立松葉小学校 1987年8月
   日本交通文化協会 http://jptca.org/publicart091/
 
 ・ギャラリー福河童 墨田区京島3-21-7
   http://blog.livedoor.jp/nidaime_rakuichi/


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