Discover 江戸史蹟散歩
 
 出羽三山信仰

 【板橋区】

  ○ 出羽三山供養塔(供養塔3基)  南蔵院(蓮沼)
  ○ 出羽三山神社          徳丸北野神社(徳丸)
  ○ 出羽三山 秩父 西國 坂東 四國  長徳寺(大原町) 別頁
  ○ 荒沢不動明王          赤塚不動の滝(赤塚町) 別頁


南蔵院 板橋区蓮沼町48-8

 「南蔵院のしだれ桜」は板橋十景に選定されています。

    

    

<出羽三山供養塔>

(説明板抜粋)
 「また、安永六年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、
 蓮沼村・小豆沢村の講員七〇名の氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る
 貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
   平成二十三年三月  板橋区教育委員会」

 右:月山供養塔 文化元(1804)年。
   塔の上には阿弥陀如来坐像。

 中:月山 湯殿山 羽黒山 供養取願成就所
   安永6(1777)年。
   塔の上には大日如来坐像。

 左:羽黒山諸願成就 文化元(1804)年。
   塔の上は聖観音菩薩坐像。

 供養塔3塔とも、座像の頭は修復されています。
 久しぶりに立派な供養塔を見ました。

     

     

   

<馬頭観音>

 笠付の三面馬頭観音。
 「武州豊嶋郡蓮沼村庚申講 正徳三年癸巳」正徳3(1713)年。

  

<庚申塔>

 延宝8(1680)年9月の立派な庚申塔があります。

   

<庚申地蔵>(板橋区登録有形民俗文化財)

 当像は、承応2年(1653)に蓮沼村の庚申講中の十人によって建立された、
 板橋区内で現在確認されている203基の庚申塔の中でも二番目に古いものです。
 (板橋区教育委員会HPより)

  

<地蔵堂>

 地蔵堂(はいた地蔵)
 御本尊は地蔵菩薩。俗に歯の痛みが治る「はいた地蔵」と称されてます。

   

<不動堂>

 不動明王

   

<本堂>

 十一面観音菩薩

   


徳丸出羽三山神社 板橋区徳丸6-34-3徳丸北野神社

 出羽三山神社は、徳丸出羽三山講がお守りするお社です。
 今でも出羽三山の勝木坊さんに宿泊して、月山・羽黒山・湯殿山に登拝しています。
 (徳丸北野神社HP説明より)

 福島や栃木でよく見る単独の「湯殿山碑」があります。
 また荒沢不動明王像も祀られています。

 徳丸出羽三山神社の例祭は4月8日で、都内だと同じ4月8日に梵天祭りがあります(足立辰沼)。

 「月山 湯殿山 羽黒山」門前
 「當山供養塔」門前右
 「湯殿山」左手前
 「不動明王座像」左奥
 「線刻不動」左
 「祠」中央
 「荒澤不動明王」右奥
 「月山 湯殿山 羽黒山 三祓聖霊」右手前

    

    

    

    

   

     

<天王神社>

 出羽三山神社の隣です。

  


徳丸北野神社 板橋区徳丸6-34-3

 江戸期には徳丸本村の鎮守社です。

    

<田遊び> 国重要無形文化財、板橋十景

(説明板)
「北野神社と無形民俗文化財「田遊び」
 長徳元(九九五)年京都北野神社より勧請する。道真公は平安朝時代の学者で右大臣に任ぜられ、のち藤原時平の嫉にあい九州の太宰府に流されてその地にて没す。没後は天神とあがめられ、学問、能筆の守り神として庶民の間に崇敬をあつめている。
 無形文化財「田遊び」は、毎年二月十一日夜間、五穀豊穣を祈願して行なわれる。この夜地の神を招き、農家一年間の行事を所作と唄で表わす古い形を残した祭りである。
 また、毎年五月には獅子舞が行なわれ、悪疫の退散と子供の無事生長が祈願される。
  平成三年三月  板橋区教育委員会」

    

<水盤>

 「梅鉢」の紋が刻まれています。

  

<徳丸富士塚>

 麓に「小御岳 石尊大権現碑」
 山頂に「浅間神社」

   

<撫牛>

    

<狛犬>

   

<拝殿/本殿>

   

<水神社ほか>

   


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