Discover 江戸史蹟散歩
 
 出羽三山信仰

 【足立区】東部(その1)

  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 大権現      路傍  (足立)
  ○ 羽黒山 湯殿山 月山 西國 秩父 坂東  路傍  (足立)
  ○ 月山 羽黒山 湯殿山 金華山      西之宮稲荷神社(足立)
  ○ 月山 羽黒山 湯殿山 三所大権現    萬福寺 (竹の塚)
  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 坂東 西國 秩父  路傍  (神明)
  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 三所権現     辰沼稲荷神社(辰沼)
  ○ 月山 湯殿山 羽黒山 百番       大光寺 (六木)
  ○ 三山講中奉納狛犬          大鷲神社(花畑)


〇月山 湯殿山 羽黒山 大権現 足立区足立2-31(路傍)

 出羽三山供養塔や梵天棹、庚申塔があります。
 植木が多く置かれています、水やりのペットボトルも多く置かれています。

    

<出羽三山供養塔>

 西之宮稲荷神社から、梵天棹奉納地で、梵天が奉納されています。
 「月山湯殿山羽黒山大権現」碑です。
 天保6(1835)年建立。先達大乗院と刻まれています。
 渕の宮氷川神社の手水舎にも、「先達大乗院」と刻まれていました。

     

      

<庚申塔>

 祠の中には足立区有形民俗文化財の庚申塔(安永九(1780)年銘)があります。
 青面金剛が二匹の邪鬼を足もとに踏みつけています。二匹の邪鬼は珍しいです。
 (庚申塔ではありませんが、コンドル像が二匹の邪鬼を踏みつけています。→こちら
 「修復記念」(昭和55年12月)の石板と不詳の供養塔があります。

     

(説明板)
「庚申塔(安永九年銘)
 祀の中に建つのは、庚申塔と呼ばれる石造物である。日本には平安時代初期に中国から伝わった庚申信仰は、六十日で一巡する「庚申」の日の晩、体内に宿る三尸という虫が、日頃の悪事を天に昇って天帝に告げると寿命が縮むと信じ徹夜をする俗信を生んだ。江戸時代には、地域の人々が庚中講を結成し、庚申の晩は宿を持ち回って集い、夜通し飲食や遊興をする風習が起こった。通常、三年間講を継続すると記念に庚申塔を村の路傍等に造立した。
 碑面中央には、青面金剛が二匹の邪鬼を足もとに踏みつけている。さらにその下には、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の姿勢をとる三猿も陽刻されている。青面金剛の左右には、月と太陽、太陽の下には鶏も陽刻されている。
 向かって左側面には、「安永九年庚子十二月吉日 五反野村講中拾二人」という文字が刻まれている。安永九年は一七八○年に当たり、当時、この周辺の五反野村の十二名の人々が庚申講を結成し、主に長寿を願う行事が満願に達したのを記念してこの庚申塔を造立したのである。江戸時代の地域社会の風習や人々のつながりを知る資料として貴重であり、平成二十四年十二月、足立区登録有形民俗文化財に登録された。
  平成二十五年三月  足立区教育委員会」

   

 一番右手は故人の供養塔。文久3(1863)年。

    


出羽三山巡礼碑 足立区足立2-36-4(路傍)

<庚申塚/庚申塔/出羽三山巡礼供養塔/庚申塚修復記念>

 「庚申塚」(文久2(1862)年)、「庚申塔」(寛政8(1796)年)、「出羽三山巡礼供養塔」、
 「庚申塚修復記念」(昭和55年1月)の石塔があります。

 庚申塚修復記念の碑には、昭和55年庚申1月とあり、近くの庚申塚の修復は昭和55年12月で、
 同じ年に修復されています。

     

<出羽三山巡礼碑>

 出羽三山巡礼碑は、文字がかなり摩滅しています。
 右「羽黒山 湯殿山 月山」
 左「西國 秩父 坂東」
 文字がどうにか読みとれます。

   


西之宮稲荷神社 足立区足立3-28-13 HP

 出羽三山信仰にかかる梵天祭りが続いています。

     

<弥五郎新田の総鎮守>

 京極弥五郎(武蔵千葉氏の家臣)が開発した弥五郎新田には、
 かつて東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったといいます。
 荒川放水路の開削にあたり本田之宮が買収され、西之宮に合祀されることになりました。
 西之宮稲荷神社は弥五郎新田の総鎮守となりました。

 足立区立郷土博物館掲示から抜粋
  

<富士塚「五反野富士」>

 西之宮稲荷神社境内の東側に「浅間神社」があり富士塚に出羽三山碑が3基あります。
 柵があり施錠されているので外から拝みます。

     

    

<月山 羽黒山 湯殿山 碑>

 ・大正9年8月 月山 羽黒山 湯殿山 金華山
 ・昭和14年8月 月山 羽黒山 湯殿山 金華山
 ・昭和61年7月 羽黒山 月山 湯殿山
 ・日光山(二荒山)の碑も複数見られます。

    


萬福寺 足立区竹の塚1-1-15

<弘法大師道道標/出羽三山供養塔>

 山門を入って右側、植栽に隠れて石標があります。
 天保5(1834)年銘の弘法大師道道標で、出羽三山供養塔を兼ねています。

(正面)「弘法大師道」

    

(左側面)「月山 湯殿山 羽黒山 三所大(以下読めず、権現と思料)」頂部に冨士講の印
 冨士講が出羽三山供養塔を建てた珍しい例と思われます。

    


出羽三山等巡拝塔(道標) 足立区神明2-11-4

 道標を兼ねた出羽三山等巡拝塔が路傍の覆屋の中にあります。

    

(正面)
 「月山湯殿山羽黒山」
 「坂東西國秩父」「一百八十八ケ所心願成就」
 紀年は読み取れず。

    

   

(左側面)

 「左 流山我孫子木下成田道」

  

(右側面)

 「右 市川船橋佐倉成田道」

  

(台石)

  


辰沼稲荷神社 足立区辰沼2-15

 足立区内では、出羽三山信仰にかかる梵天祭りが、西之宮稲荷神社と辰宮稲荷神社で、4月8日に行われています。

<梵天>

     

<月山 湯殿山 羽黒山 三所権現>

 辰沼稲荷神社の拝殿内には富士の絵馬が多く奉納されていますが、出羽三山の奉納板がありました。
 「月山 湯殿山 羽黒山 三所権現」と
 「東叡山御支配 先達」の文字が見えます。

   

<庚申塔>

 元禄12(1699)年に建てられた青面金剛像の庚申塔があります。

  

<手水舎>

 狛犬はいませんが、手水鉢に狛犬が刻まれています。

   

<力石>

 力士連中奉納の力石。

  

<いちょう>

(説明板)
「足立区指定第248号
 保存樹木 いちょう
 当神社の保存樹は落葉樹が多いため、管理には心を配っています。落葉は多くありますが夏には日陰をつくり、空気をきれいにする働きをしていますので、神社ともども地域の皆さんの心の寄りどころとなるよう願います。」

   

<拝殿>

    

    

<奉納絵馬>

     

<辰沼新田の鎮守社>

 辰沼稲荷神社は、辰沼新田の鎮守社だったといいます。
 辰沼新田は、星野彦六が開発し、当初は久左衛門新田に含まれていましたが、元禄8(1695)年に分村、独立したと伝えます。

 


大光寺 足立区六木3-10-13

 ※大光寺の詳細はこちらで記載

<出羽三山供養塔>

 明和8(1771)年銘の出羽三山供養塔です。
 「月山 湯殿山 羽黒山 奉納百番供養塔」

    

 濱中、天野、星野、加藤、寺嶋の銘が見えます。

   


大鷲神社 足立区花畑7-15-1

<三山講中奉納の狛犬>

 狛犬の奉納者は三山講中です。
 奉納「壬文化九歳 申正月酉ノ日」奉納にあたって「酉」にこだわっています。
 三山(月山・湯殿山・羽黒山)講中の奉納の石碑はよく見るところですが、狛犬の台座は初めて見ました。

     


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