○ やっちゃ場
・まちの歴史 千住の町並み
・昭和5年千住市場問屋配置図
○ 千住宿歴史プチテラス
・芭蕉句碑(移設)
・大正初期のやっちゃ場風景写真
・やっちゃ場追想
千住宿歴史プチテラス(館内)(別ページ)
○ 大師道道標
○ 屋号
・やっちゃ場の文化人 建部巣兆
・「名人 鯉の隠居 佐可和鯉隠」「本坂川屋」
・「元果物専門問屋 水宗」と「水菓子の話」
・山柏青果物市場
・将軍鷹狩休憩所 元長床茶屋 高内長之助
・やっちゃ場と千住の彫刻家 富岡芳堂
・やっちゃ場の郷土史家 福嶋憲太郎
・やっちゃ場北詰
屋号(2023年2月現在)(別ページ)
○ 河原稲荷神社(別ページ)
・足立区内最大の狛犬
・千住青物市場創立三百三十年祭紀念碑
○ 足立市場(別ページ)
・魚河岸食堂
・千潮金刀比羅宮
やっちゃば緑道/東武鉄道千住貨物線(別ページ)
「やっちゃ」とは市場の競りのかけ声であったと言われています。
(足立区サイト「千住青物市場「やっちゃ場」より一部引用)
「千住河原町はかつて「やっちゃ場」とよばれた青物市場で、戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。千住河原町稲荷神社境内には明治39(1906)年建設の「千住青物市場創立三百三十年祭記念碑」が立っています。これによれば市場開設は天正4(1576)年になりますが、史料によれば、公的に市場の形をなしたのは享保20(1735)年でした。青物市場は神田・駒込と並び江戸の三大市場に数えられ、幕府の御用市場でもあったのです。」
足立区立郷土博物館に行くと、やっちゃ場の賑わっていた頃の様子がよくわかります。
<まちの歴史 千住の町並み>
やっちゃ場にある、千住宿の町並みの歴史が語られている説明板です。
<昭和5年千住市場問屋配置図> 足立区千住河原町27-5
昭和5年の問屋配置図があります。
掃部宿憩いのプチテラスには、江戸時代の配置を示した千住図会があります。
プチテラスは平成5年に千住4丁目の紙問屋の横山家の蔵を解体移築したのものです。
<芭蕉句碑>(移設されました)
千住宿歴史プチテラスの前に芭蕉句碑があります。
平成15(2003)年5月16日に建てられました。
「鮎の子のしら魚送る別哉」
<大正初期のやっちゃ場風景写真>
<やっちゃ場追想>
大正・昭和初期のやっちゃ場のようすが描写された案内板が、
千住宿歴史プチテラス隣りに設置されています。
当初は手漉き和紙に墨筆だったものが、改修されています。
平成18年「千住青物市場創立330年祭記念碑」が明治39(1906)年に建立されてから100年目を迎えました。
「千住大賑い会・河原」は、これを記念して「やっちゃ場追想」と題した案内板を作成したものです。
「旧日光道中」「是より西へ大師道」の道標です。
裏面を見ると、平成元年2月足立区が設置したもの。
大師道を進むと河原稲荷神社があります。
大師道のずっと先に、西新井大師。
芭蕉句碑「父母のしきりにこひし雉子の声」
天保十二年(1841)芭蕉の弟子たちが句会を開いたとき、この句碑を建てたもの。
西新井大師光明殿にあります。
江戸時代の句碑には思えないほど保存状態が良いです。
(説明板)
「やっちゃ場の文化人 建部巣兆
巣兆は文化、文政の江戸文化華やかなりしころ千住はずれの関屋の里に住み、俳画に長じ江戸三大家に数えられた俳諧師である。字を巣兆、菜翁、秋香庵と号した。亀田鵬斎、酒井抱一など江戸一流の文人墨客と親交があり千住にあっては俳句の点者や俳画、生花の指南で生活していたと思われる。一説では、巣兆は酒を非常に嗜み、その門人で近所に住んでいる豆箕とはよい飲み相手であり、金銭に活淡泊な巣兆は余財があれば惜しまず、酒代に差支える事も度々であった。いつもの如く秋香庵で両人が酒を酌み交していると、巣兆の妻女が背後から巣兆に小さな声で「もしもしもうお酒がありませんよ」と耳打ちすると「解った」と黙って着ていた羽織をぬいで妻女へ渡すと度々の事で心得たもので、それが質屋の露地から酒屋の暖簾を潜って黄金の液体に化けてくると言う次第である。豆箕は千住市場の青物問屋F伊勢屋七兵衛でありまさに此の土地の人物である。住居については不明な点が多いが参考資料を記述」
「化政時代 秋香庵附近図」が添えられています。
青物問屋坂川屋の隠居佐可和幸次郎は隠居して鯉隠と号し、
酒井抱一に手ほどきを受けて絵描きとなりました。
頌酒堂とも名乗り大の酒好きでした。墓が源長寺にあります。
説明板には肖像画が添えられていますが、東京国立博物館所蔵の鯉隠の筆による建部巣兆の画です。
(この人物が鯉隠だと勘違いされるかもですね)
<千住酒合戦図>高田與清「擁斎漫筆」が掲示されています。
(説明板)
「名人 鯉の隠居 佐可和鯉隠
「千住酒合戦」文化十二年十月二十一日千住一丁目問屋場前の諸家飛脚宿中屋の隠居六右衛門「中六」が還暦祝いに酒合戦を催した。その勧進元は「中六」の呑友達の粋人鯉の隠居といわれた鯉隠(坂川利右衛門・頌酒堂・佐可和鯉隠・青物問屋坂川屋)が引受けた。鯉隠は千住の俳人建部巣兆の門下で絵を描き、酒井抱一と親交があった。千住に遊ぶ亀田鵬斎など文人墨客とも親交があり、江戸市中の文人らを来賓で招いている。その顔ぶれは鵬斎をはじめ、谷文晁、酒井抱一、市河寛斎など知名度の高い人達であった。竹塚村(現竹の塚)出身の文人、竹塚東子も来賓に連なっている。
鯉隠は、隅田川を千住の大橋で渡った素盞雄神社に文政三年(一八ニ○)に亀田鵬斎による松尾芭蕉句碑を建立している。どうして南千住の素盞雄神社なのかは不明である。ご存知の方はお知らせ下さい。
寄贈 有限会社喜田家」
青物とは、葉野菜、土物(根菜類)、水菓子(果物)
の3種をいい、
水菓子とは果物のことです。
千住葱は、やっちゃばにある、日本で唯一、長ネギだけの民営の
ネギ専門の東京千住山柏青果物卸売市場で取り引きされたネギのブランド名です。
現在の生産地は主に埼玉県のようです。
将軍が鷹狩りの時などの休憩に利用したのが長床茶屋。
雀焼きと甘辛団子が名物だったようです。
隣が煙草入れで有名な濱松屋とのことですが、さらなる情報はありません。
千住の古い家々の神棚や仏壇の奧に、千住の彫刻家富岡芳堂が、
明治18年に流失した千住大橋の高野杭で造った彫刻が保存されているそうです。
(足立区教育委員会「足立史談」より)
千住葱専門問屋の川崎屋の長男に生まれた、やっちゃばの郷土史研究家、福嶋憲太郎の説明板。
「此処は元やっちゃ場北詰」「古谷 相洲屋 元お酒や」
(空家となり掲示が消失しています。)
道路の反対側には、「足袋や 吉田 元たび屋」と「野村 元乾物商」
まめに手入れされています。きれいになった説明板と、もれていた屋号を掲載。2019年8月現在。