○ 合力稲荷神社
<説明板設置>
三ノ宮卯之助の「足持石」と彫られた力石について、新たに説明板が2つ設置されています。
「台東区教育委員会」2019年2月設置
(説明板)
「三ノ宮卯之助の力石
台東区浅草六丁目四十二番八号 合力稲荷神社
力石は、「力比べ」や「曲持ち」を行うときに用いられた石である。江戸時代には、神社の祭礼などで力と技を競った。
持ち上げた石には姓名などが刻まれ、寺社に奉納された。江戸時代後期には、職業的な力持ち力士による興行も行われるようになった。
この力石は、江戸時代後期に奉納されたと推定される。高さ九三センチメートル、幅八○センチメートル、奥行き四八センチメートルの自然石である。石には、三ノ宮卯之助、足持石、数名の世話人の名が刻まれている。
三ノ宮卯之助(一八○七〜五四)は、現在の埼玉県越谷市三野宮に生まれ、力持ちを見世物とした一座を結成し、諸国を巡業した。
嘉永元(一八四八)年六月の「 力持番付」(山梨県立博物館蔵)には、当時の最高位である東の大関としてその名が記されており、卯之助の名が刻まれた力石は関東地方を中心に長野県、大阪府、兵庫県にも分布していることから、著名な人物であったと考えられる。卯之助は仰向けになり力石を足で差回す「曲持ち」や、馬一頭を乗せた小舟を持ち上げる技を得意としていたといわれ、「足持石」と刻まれているこの石も、足を使って持ち上げられたことが推測される。
境内にある力石の由来は明かではないが、江戸時代の信仰や娯楽の一端を知ることができる資料として、地元の浅草馬三町会により大切に保存されている。
平成三十一年二月 台東区教育委員会」
「越谷市郷土研究会」2020年2月設置
「浅草馬三町会」2018年2月設置
(説明板)
「浅草合力稲荷神社 (正一位合力稲荷大明神)
稲荷本地仏十一面観音
浅草六丁目四十二番地
御祭神 保食神(ウケモチノカミ)
創建 永禄年中(一五五六〜)良法院護持
縁起 当社は永禄年中、山谷村百姓一同にて郷中鎮守として奉斎
御祭神は生活の基をなす食を司る神として御神威を発揚され、四百数十年に亘り庶民の信仰を集め尊栄を見守る
馬頭観音合祀 寛文三年(一六六三)四代将軍家綱日光社参の砌 御乗馬 名馬【荒波】千住宿にて死亡依って当社に於いて荒波馬頭として是を奉る
将軍の愛馬を祀る縁により敷地六十坪は除地となって年貢は免除となる
日本堤の土手下に有り「土手のお稲荷さん」として
江戸時代より現在に至るまで多くの人々に崇められる
境内には江戸時代随一の力持ち「三ノ宮卯之助の力石」が奉納されている
平成三十年五月吉日 浅草馬三町会」