Discover 江戸旧蹟を歩く
 

 東向島

  ○ 法泉寺
  ○ 葛飾北斎K
  ○ 白髭神社
  ○ 葛飾北斎L
  ○ 西川春洞・寧住居跡



法泉寺 墨田区東向島3-8-1

    
 

<法泉寺縁起>

「 法泉寺縁起
 法泉寺は永平寺と總持寺を両大本山と仰ぎ駒込吉祥寺を本寺とする曹洞宗のお寺です。
 今から約八百年前、源頼朝公の重臣で奥州を支配した葛西三郎清重公がこの下総国大沼に堤を築いて開墾し、父母追善供養の為に建立したと伝えられており、「寺島村」地名発祥の寺のひとつと云われています。
 天文元年(一五三二)吉祥寺二世大州安充大和尚により伽藍が再興され、慶安元年(一六四八)には江戸幕府より八石五斗の御朱印を賜りました。
 寛文二年(一六六二)石造地蔵菩薩立像、享保二年(一七一七)銅造地蔵菩薩立像が建立されたほか、東京大空襲による焼失を免れた数々の文化財が継承されています。
 四百年の歳月を経て、なおやさしさを偲ばせる三百余基の石仏群が祀られ、粋でゆとり溢れる江戸文化が伝えられています。
  清河山  法泉寺 」

  
 

<窪俊満「故郷の」の歌碑> 墨田区登録有形文化財
 
(説明板)
「(墨田区登録有形文化財)
 窪俊満「故郷の」の歌碑  所在 墨田区東向島三丁目八番一号
 江戸時代後期の浮世絵師・戯作者の窪俊満(一七五七?一八二○)を偲び、彼の友人たちが文政四年(一八二一)六月に建立しました。正面には俊満の作品で狂歌作品集にも掲載された「故郷の おやの袖にも やどるかと おもへば月は ふたつなきもの」という和歌が刻まれています。
 裏面には石川雅望による俊満の人物紹介と建碑の経緯を記した一文が刻まれています。
書は秋元廣丸、碑刻は窪世祥が受け持ちました。
  平成二十七年九月  墨田区教育委員会 」

   
 

<千鳥庵鳥奏の歌碑>

 寛政9年(1797)9月建碑。
 「短冊塚」の篆額、三世千鳥庵の4句が刻まれています。
  散日から散るを盛りや花
  思ひきって飛姿なりほととぎす
  我を山に捨て名月入に鳧
  夕煙雪の野末に里ありや 千鳥庵鳥奏 」

   
 

<石造地蔵菩薩立像> 墨田区登録有形民俗文化財

「舟形光背を持つ寛文2年(1662)銘の地蔵菩薩立像です。右手は欠損していますが、裳裾の状態から、錫杖を持っていたものと推定されます。彫刻は大変丁寧で、眉目秀麗な姿をしています。光背には、寛文2年(1662)の年号とともに、「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成佛道」と刻まれています。これは、中世より回向文として最も多く刻まれてきた法華経化城喩品(けじょうゆぼん)第七の一節です。また、下段には3名の導師の名前と20名の男性名、そして「玉」という女性の名前が刻まれています。」
(墨田区教育委員会HPより引用)

   
 

<五輪塔(多賀家)>

   
 

<無縁仏入口>

   
 

<タブノキ>

 「今を去ることは七百年前、源頼朝が隅田川を渡りし際、
  此の木に白幡を立てしという由来ある由縁あり」(本多静六)

   



すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎の描いた風景をたどろう 墨田区東向島3-8-11法泉寺前

「K寺島法泉寺詣

文政中期(1780〜90年)頃の摺物(すりもの)です。摺物とは狂歌師などが知り合いに配るために絵師に注文して作ったプライベートな版画で、売り物とは違い、採算を度外視した豪華な作品が多いのが特徴です。葛飾北斎が為一(いいつ)と名乗っていた60〜70歳代中頃の作品で、墨田区東向島の法泉寺を訪れる参詣客の様子が描かれています。門前の右の石柱に「新田義貞公守本尊髻不動明王寺嶌法泉寺」とあります。現在のところ、江戸時代の法泉寺に関する版画はこの作品だけであり、墨田区所蔵のピーター・モースコレクション以外では確認されていない唯一の作品で、墨田区指定有形文化財となっています。」

    

  



○すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎の描いた風景をたどろう 墨田区東向島3-4-2白髭神社前

L白髭の松 今戸の夕烟 -絵本隅田川両岸一覧-
『絵本隅田川両岸一覧』は隅田川両岸を中心に高輪から吉原までを描いた全3巻25作品からなる狂歌絵本シリーズで、この作品は下巻に収められています。秋の夕暮れが広がる画面の左では、今戸(現在の台東区今戸)の瓦焼きの真っ最中で、川縁で何やら言葉を交わしながら瓦を運ぶ二人と瓦を積んだ舟が描かれています。画面の奥には名勝地として知られていた白髭明神社(現在の白鬚神社)の鎮守の杜を配し、また右側に配された動きのある白鷺がアクセントとなっています。葛飾北斎が40〜47歳頃の作品です。」
  
    

  



西川春洞・寧住居跡 墨田区東向島3-4-5

 葛飾北斎の掲示の横にあります。

 春洞は明治、大正にかけて活躍した大家でその門に学ぶ者、2000名といわれました。
 今日の漢字書道界の基礎をつくった中心的的存在でした。
 寧は書家、中国書道史家で、日本芸術院会員、文化勲章受章者。

  


戻る