当社の創建年代は不詳ですが、嘉兵衛新田の開発に伴い創建されたのが稲荷神社です。
稲荷神社は明治時代に加平天祖神社の摂社(嘉兵衛新田字西耕地)となりました。
綾瀬川西側の旧嘉兵衛新田の人々は、戦後まで綾瀬川東側にある天祖神社を鎮守としていましたが、
摂社の稲荷神社は、昭和29(1954)年3月に分離独立しました。
昭和49(1974)年3月に、高速道路建設のため現在の加平ランプ入口にあった、
石造祠の天祖神社を稲荷神社に合祀し、西加平神社と改称しました。
<嘉兵衛新田>
武蔵国橘樹郡稲毛領(現・神奈川県川崎市北部)に居住していた伊藤嘉兵衛が、当地に移住し嘉兵衛新田を開発しました。
寛永年間(1624〜1644)に内匠新田から小菅の古隅田川まで新川(新綾瀬川)が開削されました。
このため、嘉兵衛新田は、東西に分断されました。
<現在の西加平神社>
六町の再開発にともない、平成28(2016)年に移転先から戻ってきたばかりで、まだ森のない神社です。
鳥居は寛政11(1799)年の銘です。
<手水舎>
嘉永7(1854)年2月に新吉原角町の安房屋が奉納した手水鉢があります。
明治13年の「全盛古郷便覧」に「安房屋」の記載があります。
明治27年の新吉原配置図には記載がありません。
<狛犬>
「大正十年五月」
「千住町 彫刻師 田中柳之助」
<三峯神社>
<天祖神社>
昭和49(1974)年3月に、高速道路建設のため現在の加平ランプ入口にあった、
石造祠の天祖神社を稲荷神社に合祀し、西加平神社と改称しました。
<旧社号標など>
昭和49(1974)年3月に、西加平神社と改称する前の旧社号標「稲荷神社」などが並んでいます。
<庚申塔>
境外の裏道に、庚申塔が三基と不詳の石造物があります。
左から、
・天明8(1788)年銘の庚申塔。左側面「奉供養庚申講中 渕江領 嘉兵衛新田西」
・天保8(1837)年銘の庚申塔。
・寛文10(1670)年銘の阿弥陀如来を主尊とする庚申塔。二猿が陽刻されています。
・とろけて不詳の石造物。