東浅草の東部は、旧奥州街道(吉野通り)に接しています。
○ 東禅寺(江戸六地蔵)
○ 春慶院(高尾太夫墓)
○ 駿馬塚(源義家)
都の有形文化財である銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵)があり、旧奥州街道の鎮守となっていました。
<銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵)>
(説明板)
「東京都指定有形文化財(彫刻)
銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵の一)
所在地 台東区東浅草二丁目十二番十三号
指 定 大正十四年五月
昭和四十五年八月三日名称変更
江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して造立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは二.七一メートル、品川寺に次いで第二番の宝永七年(一七一〇)に造立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成十一年に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像等が現存する。
なお、江戸六地蔵は次のとおりである。
品川寺 品川区南品川三丁目
太宗寺 新宿区新宿二丁目
真性寺 豊島区巣鴨三丁目
霊巌寺 江東区白河一丁日
永代寺 江東区(消滅)
東京都文化財保護条例(昭和五十一年三月三十一日改正)により、文化財の指定種別を都重宝から東京都師指定文化財に変更しましたので、石造標識については、このように読み替えて下さい。
平成十四年三月二十九日 東京都教育委員会」
<麺麭祖像>
銀座木村屋総本店の開業者木村安兵衛と妻ブナの夫婦像があります。
(説明板)
「駿馬塚
駿馬塚は、平安時代の康平年間(一〇五八−一〇六四)源義家が陸奥へ向かう際、この地で愛馬「青海原」が絶命し、これを葬った所と伝えている。
現存する塚は、明治二十八年造立の石碑や石造層塔の一部を遺すのみだが、天保七年(一八三六)刊行の『江戸名所図会』には塚の挿絵を載せており、江戸時代後期には土饅頭型の塚や「駿馬塚」と書した石碑が建っていたようである。
現在、付近の人々はこの塚を「馬頭観音」と呼び、覆屋等を設けて大切に守っている。
平成十年三月 台東区教育委員会」
「駿馬塚(江戸名所図会)」
江戸時代は個人の別荘の一画にあったようです。
「埋木の花」(国立国会図書館デジタルコレクション)所載の駿目塚です。
「駿馬塚(関東大震災前後)」
「上代の東京と其周囲」(鳥居竜蔵 磯部甲陽堂 1927年)に、関東大震災前後の駿馬塚が掲載されています。
かつてこの塚から陶棺が掘り出されたことが碑文に刻まれていることが紹介されています。
震災直後にもあったこの碑は見あたりません。
<駿馬塚(現在)>