Part2 日比谷公園 歴史探索 / Part1 江戸城史跡−日比谷公園−
明治の頃の日比谷公園
「東京風景」小川一真出版部 明44(1911)年 日比谷公園オブジェマップ(日比谷図書館にあります)
■開園当初のもの
○アーク灯
○水飲み(馬兼用)
○馬の水飲み
○小音楽堂裏の水飲み
○豪壮な水飲み
○華奢な水飲み
○三笠山
○草地広場/健康運動広場
○つつじ山
○第一花壇
○心字池と亀の噴水
○雲形池と鶴の噴水
○イチョウ並木
○東京市マンホール
■移転保存
○京橋の欄干柱
○松石
○首かけイチョウ
○烏帽子石
○牛込門 亀石
■内外からの寄贈
○石貨
○ルーパ・ロマーナ
○自由の鐘
○古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)
○ホセ・リサール像
○キリノ元フィリピン大統領顕彰碑
○石灯籠
○彫刻「自由」
○ペリカン噴水
○彫刻「キリンの仔」
○彫刻「豊穣」
○はにわ
○南極の石
■後から整備
○旧日比谷公園事務所
○ロックガーデン
○大噴水、第二花壇、にれの木広場
■植樹
○アメリカスズカケノキ
○オキナヤシ
○タイサンボク
○国際連合創設三十周年記念植樹
○かもめの広場/郷土の森
○日比谷公園開園100年植樹
○日比谷公園100周年記念植樹
○ハンカチの木
○ハナミズキの林
○ハナミズキ2世記念植樹
○ハナミズキ3世
○グリーンアドベンチャー
■設備
○売店
○自転車置場
○公衆電話
■建物
○日比谷公園1番1
○日比谷公園1番2
○日比谷公園1番3
○日比谷公園1番4
○日比谷公園1番5
○日比谷公園1番6
■日比谷公園外
○緑化道路
<沿革と特色>
(説明板)
「この公園は明治36年(1903年)都市計画により誕生した日本で最初の洋式近代公園です。
江戸時代この付近一帯は諸大名の邸地でしたが、明治に至り練兵場として陸軍省が所管しました。
明治22年(1889年)都市計画日比谷公園の設置が告示され、これに伴い用地引継ぎを受けた東京市は本多静六博士(林学・1866〜1952)らによる公園の設計案を明治34年(1901)年採用し、造成に着手、明治33年6月1日開園いたしました。
その後、図書館、公会堂、音楽堂等が設置され都民のいこいの場として親しまれるとともに広場(現在の第二花壇の位置)では数々の国家的行事が催されました。
太平洋戦争が始まると樹木が伐採されて園地は畑となり、かつて金属回収のため外柵等の撤去が行われました。戦後、公園は連合軍に接収されましたが、解除後、昭和26年(1951)年頃から復旧を開始し、昭和36年(1961年)9月には直径30m主柱12mの大噴水が完成し公園の新しいシンボルとなりました。
このほか四季の花を絶やさぬ洋風花壇や鶴の噴水のある雲形池など各種施設を備えている東京都の代表的な公園です。」
「本多静六 林学教授」(東京帝国大学 小川一真 明治37年)
「桜田弁慶堀原」(小林清親)/「外桜田遠景」(井上安治)
現在の日比谷公園区域及びその周辺は 江戸時代は諸大名の屋敷がありましたが、
明治4(1871)年に陸軍日比谷操練場が置かれます。明治18(1885)年から陸軍日比谷練兵場と名称を変えます。
小林清近が陸軍日比谷操練場を、井上安治が陸軍日比谷練兵場を描いています。
<日本の都市公園100選>
平成元年に「日本の都市公園100選」に選ばれ、そのプレートがあります。
<日比谷公園のロゴ>
3カ所で確認。現在は使われていないようなので、古いロゴかと思います。
○アーク灯
祝田門内植込に開園当時のアーク灯や水飲みがあります。
(説明板)
「アーク灯
この元アークライト灯は、開園当時の公園灯で、園内に10基設置され、1200燭光の明るさがあったといわれます。これ以外はガス灯70基が設置されていました。
右手にある水呑みと同じ鋳鉄製で統一されたデザインとなっており、両方とも明治の記念物として1基づつ園内に残っています。」
○水飲み(馬兼用)
(説明板)
「水飲み
この水飲みは、日比谷公園開設当時(明治36年)のものです。
鋳鉄製で重厚ななかにも細かな装飾が施され、デザイン的にも見応えがあります。
また、馬も水を飲めるような形に作られており、陸上交通の重要な部分を牛馬が担っていた当時がしのばれます。」
○馬の水飲み
上の部分が欠けています。完全なものは、三笠山の麓にあります。
説明板があり、昔の水飲みが7基あるとのこと。
7基+1(現役)ありました。
○小音楽堂裏の水飲み
小音楽堂近辺にあります。
インカの遺構のような顔が2つ。不思議なデザインです。
昔の写真ではここから水が出ています。
○豪壮な水飲み
豪壮な水飲みです。
大噴水の近く、桜門からの散策路左手木立の中、同じタイプが2つありました。
近くには新しい水飲みがそれぞれあります。
○華奢な水飲み
ひょろっとした水飲み。
心字池のほとり、雲形池のほとり、南部亭の前に、同じタイプが3つありました。
ひとつはふたがかぶせられ、ひつとは張り紙。
心字池のほとり
雲形池のほとり
南部亭の前
(説明板)
「水飲み場
これは古い水飲み場です。過去の写真では、別の出材の水飲み場が映っていますが、現存するこの水飲み場年代不明です。
園内には、日比谷公園開園当時(1903年)に設置された馬の水飲み場も残っており、当時の公園の様子が偲ばれます。」
○三笠山
もとは三峰あったので、三笠山でしたが、
テニスコート造成等でひと峰削られ現在は二峰ですが、名前は三笠山として残っています。
(説明板)
「三笠山
この小丘を含むテニスコート西側の一帯は三笠山と呼ばれています。
公園造成時に池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が三つの笠をふせた形に似ていたのでこの名が付いたといわれています。
その後、テニスコートの造成など周辺の整備に伴い、山の形は変わりましたが、三笠山の名は残りました。」
○草地広場/健康運動広場
草地広場には、遊具があり、子どもの遊び場となっています。
健康運動広場は、運動器具などが設置されています。
掲示説明板を見ると、かつては動物園やプールがあったようです。
戦時中は畑になっていました。
○つつじ山
三笠山と同じく日比谷公園開園当初に築山された山です。
盛り上がっている程度で、山ではないですね。
○第一花壇
日比谷公会堂予定地を利用して花壇がつくられましたが、
人気が高く、公会堂は現在地に建築され、花壇はそのまま今に残されています。
○心字池と亀の噴水
親亀が子亀をのせて、本物のような彫刻の亀がいます。
当初の噴水は、鳶鳥とオモダカの噴水でした。
○雲形池と鶴の噴水
「この噴水は、明治38年頃東京美術学校(現在の東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作したもので、
公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。
(1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面)」
説明板に英文が追記されました。
○イチョウ並木
イチョウは開園前の明治35年に植えられました。27本あります。
大戦時に枝や幹先を切られたため根元は太いが先が細い。
○東京市マンホール
東京市時代の古いマンホールが残っています。全部で6カ所あります。
・西幸門からの音楽堂楽屋入口と図書館の間の道
・イチョウ並木の松本楼北側の道に2つ
・大噴水前
・ペリカン噴水前
・テニスコート東側の道
・図書館前
よく見たら違っていました。新しいものです。
・電気低圧用マンホール蓋
「ソメイヨシノ」「イチョウ」「ユリカモメ」がデザインされています。
「都立公園」「低圧」の文字があります。
(説明板)
「この石柱は、明治8年築造された京橋の欄干柱で、大正11年架け替えの際にここに移されたものです。
当時は、橋名を刻んだ親柱もありましたが、昭和9年京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移されました。」
○松石
(説明板)
「今から3〜5千万年前の植物が、水底に運ばれ埋没された後、珪酸質の液がしみこんだものを珪化木といいます。
北九州の炭田では、炭素中に珪化木が含まれ、これを松石または松炭と呼んでいます。
ここにあるものは、昭和初期、福岡市外亀山炭坑の地下300mのところから長い木のまま発見されたものの一部です。」
○首かけイチョウ
園内で一番太いイチョウで、推定樹齢400年、幹回りは650cmあります。
日比谷公園の設計者である本多静六博士が、
明治34年、現在の日比谷交差点にあったイチョウの大木を
自分の首を賭けても移植を成功させてみせるとし、
見事日比谷公園内に活着させました。450m移すのに25日かかっています。
○烏帽子石
(説明板)
「この石は、江戸時代、江戸城外郭市ヶ谷御門の石垣の中にあったもので、形が烏帽子(えぼし)(昔、元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため、人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたものです。
明治時代、道路拡張に伴い石塁が取り壊された際、永く保存するためこの日比谷公園に移されました。」
几号水準点が刻印されています。
○牛込門 亀石
心字池沿にあります。
石に刻まれた「不」の文字が、几号水準点。
文字は地面に垂直にたっているのが本来であり、
富士見町の牛込門の枡形石垣からここに持ち込まれた時に石は寝かされたのでしょう。
○石貨
(説明板)
「石貨
この円形の石は、南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)でお金として使われていた石の貨幣で、石貨と呼ばれるものです。石貨は小さいもので直径6cm位から、大きいもので直径3mに達するものまであります。
一般に、1.直径の大小 2.表面が滑らかか粗いか 3.形のよしあし 4.運搬の難易によって価値が決められました。
この石貨は直径1.35m短径1.00mのほぼ円形で、大正13年頃、1000円位で通用したと言われています。
大正14年1月 ヤップ島支庁長寄贈」
○ルーパ・ロマーナ
ロックガーデンにあります。
ルーパ・ロマーナ像は、1938(昭和13)年3月31日に日伊親善のため、
当時のイタリア首相ムッソリーニから東京市へ寄贈されました。
牝狼に育てられ、成長してローマ帝国を建国したという神話のロムルス・レムス兄弟が、
狼の乳を飲んでいる様子を描いた彫刻です。
○自由の鐘
(碑文)
「自由の鐘
自由の鐘は一七七六年米國の独立宣言に際し自由の喜びを天下に告げた歴史的記念物である しかし この鐘はその鐘銘の聖句にもある通り「すべての國とその住民に自由を告げる」自由の象徴である 米國民間の匿名有志はその複製を連合軍総司令官リツジウエイ大将に託し これを廣く日本國民に贈りたいと申出た よってリツジウエイ大将は自由の擁護者たる新聞を通じ廣く日本國民に贈ることが最も寄附の趣旨に副うものとして昭和二十七年四月日本新聞協會に寄贈された 日本新聞協會は日比谷の一角に自由の鐘塔を建造してこれを東京都に寄贈し廣く國民と共に自由の鐘の歴史的意義を銘記せんとするものである
昭和二十七年十月 社団法人日本新聞協會」
○古代スカンジナビア碑銘譯(ひめいやく)
「スカンジナビアの人々が、1957年2月24日ヨーロッパより北極経由で、日本への空路を開拓しました。
この碑は、北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、
スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものです。」
○ホセ・リサール像
「ホセ・リサール(フィリピン1861-1896)はフィリピンの独立運動に命を捧げた国民的英雄です。
1888年の滞日中、現在の日比谷交差点付近にあった東京ホテルに滞在したことから、
日本人有志などの尽力により、1961年6月19日に設置されたものです。」
○キリノ元フィリピン大統領顕彰碑
平成28年6月18日に除幕式が行われました。
(外務省サイト:http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003390.html)
○石灯籠
雲形池の西側へりに、日比谷公園唯一の石灯籠が一基あります。
日比谷公園開園の翌年、明治37年5月、駒込吉祥寺前の石工酒井勝太郎氏の寄付。
この石灯籠は東日本大震災にも耐えましたが、水面に向かってわずかに傾きがあり、
平成24年3月に耐震補修作業が行われました。
○彫刻「自由」
第一花壇にある彫刻「自由」
1950(昭和25)年11月3日、文化の日制定を記念して作られた乗松厳「自由の女神」です。
1985(昭和33)年に開催された「春の野外彫刻展」出展作品。
安田火災海上保険寄贈。
○ペリカン噴水
第一花壇にあるセメントの樽谷講太郎「ペリカンの噴水」です。
1953(昭和28)年にセメント会社から寄贈されました。
○彫刻「キリンの仔」
1958(昭和33)年、日比谷公園で開催された「春の野外彫刻展」出展作品の
セメントの淀井敏夫「キリンの仔」が陳列場にあります。
小野田セメント株式会社寄贈。
○昭和35年(1960)の野外創作彫刻展
○彫刻「豊穣」
霞門近くにある「豊穣」(作者:中川為延 寄贈:小野田セメント株式会社)。
ぶどうの収穫の彫刻。1963(昭和38)年の野外彫刻展で出品された彫刻。
「白色ボルトランドセメントによる野外創作彫刻展」(東京都主催、小野田セメント後援,1951〜1971)では、
小野田セメントが作品を買い取り、全国各地の自治体、団体へ寄付しました。
○はにわ
(碑文)
「贈
東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が姉妹公園として結ばれたことを記念しその 喜びをこめて この「はにわ」像二体を東京都のみなさまに贈ります(以下省略)
昭和40年8月21日宮崎県知事 黒木博」
○南極の石
南極の石が展示されているのを知っている人がどれくらいいるのかな。
(説明板)
「南極の石
この石は、南極昭和基地から4kmの地点にある、東オングル島の慎太郎山(標高40m)で、日本の南極観測隊が採取しました。重さは150kgの片麻岩です。
南極観測船『ふじ』が持ち帰り、昭和41年4月14日、この公園に設置されました。」
○旧日比谷公園事務所 東京都文化財
旧日比谷公園事務所を設計した日本人技師の福田重義氏の肖像のレリーフがあります。
明治43年竣工。
○ロックガーデン
珍しい植物を収集展示して大正11年につくられました。
○大噴水、第二花壇、にれの木広場
丸の内線開通工事に伴う再整備事業として 運動場(大広場)の場所が
1961年(昭和36)、大噴水、第二花壇、にれの木広場として整備されました。
比較的新しいものです。
現在の第二花壇となった大広場では、伊藤博文の国葬が行われています。
内外の植樹がきわめて多いです。
○アメリカスズカケノキ
テニスコート横の散策路脇にアメリカスズカケノキがあり、傍らに説明板があります。
(説明板)
「スズカケノキ
このアメリカスズカケノキは、明治37年(1904)目黒の林業試験場(現:
林試の森公園)から試験場長白沢保美博士の寄贈により、この日比谷公園に植えられたものです。当時実生後数年たった苗を植えていますから、現在の樹齢は約100年にもなります。
当時、スズカケノキ(プラタナス)は、街路樹の新種として外国から種をとりよせて試験的に植えていた時期で、その後この木の枝をとり、さし木をして街路樹がふやされていきました。
現在のスズカケノキは、都内の街路樹の15%(約5万本)を占めています。」
○オキナヤシ シアトル市長寄贈
昭和28年シアトル市長から寄贈。
日比谷公園のなかでひときわ高く聳え立っています。
○東京都・ニューヨーク市姉妹都市提携記念植樹のタイサンボク
(説明板)
「東京都・ニューヨーク市姉妹都市提携記念植樹のタイサンボク
この木は北米原産のタイサンボクです。この木は日米修好通商条約批准書交換百周年にあたる昭和35年(1960)2月29日東京都ニューヨーク市の「姉妹都市」提携に基づき、
東龍太郎都知事一行がニューヨークを訪問した際、同市日系人会会長から同市に桜の樹100本が寄贈されたことの答礼として、東京都に寄贈され、同都知事とリチャード・C・パターソン
・ニューヨーク市長代理により、同年5月23日午後、日比谷公園内のこの場所に植えられました。タイサンボクは6〜7月にかけて大きな純白の花を咲かせます。」
○国際連合創設三十周年記念植樹
1975年(昭和50年10月23日)。植樹された木は残っているのでしょうか?
昭和59年東京地方裁判所分室の跡地であった部分を国から借り受け、
全国都道府県の木を記念に植樹し、東京都の鳥であるユリカモメを模したカモメの噴水を設置した広場です。
昭和61(1986)年に開設しました。
(プレート文)
「鴎 かもめ
うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、
時の流れを告げる古い貝殻。
1986
作者 淀井敏夫」
日比谷公園開園当初は、この地は貴族院議長公邸でした。
植樹された木々は、枯れていたり育っていないものなどプレートだけ残るものもあります。
愛知県の珍しい「はなのき」などは、プレートだけ残っています。
○日比谷公園開園100年植樹
「日比谷公園園内業者一同 日比谷公園開園100年植樹」プレート。
祝田門近くの植樹です。
○日比谷公園100周年記念植樹
ライオンズクラブ国際協会330-A地区による桜の記念植樹。2004年2月。
テニスコート横です。
○東京馬場先門ライオンズクラブ結成40周年記念植樹ハンカチの木
健康広場にライオンズクラブ植樹のハンカチの木があります。
2005年の植樹です。
○ハナミズキの林
尾崎行雄東京市長は、1909年、タフト米国大統領夫人が、
日本の桜をワシントンのポトマック河畔に植えたいと希望していることを知り、
2000本の苗木をワシントンに送りますが、害虫が発見されすべて焼かれてしまいます。
1912年、今度は苗木6040本を、半分はニューヨークハドソン河開発300年記念式へ、
残る半分はワシントンのポトマック河畔に植樹されました。
米国政府は1915(大正4)年に返礼の特使を日本に派遣、白いハナミズキ40本が日本に寄贈され、
日比谷公園や小石川植物園、東京府立園芸学校(現都立園芸高校)などに植栽されました。
1917年にも赤いハナミズキ10本が贈られ、新宿御苑などに植えられました。
現存が確認されているのは都立園芸高校の1本だけとなっています。
日比谷公園のハナミズキの林は、1961(昭和36)年、原木の二代目の苗木の一部を植えたのが始まりです。
○ハナミズキ説明板
(説明板)
「ハナミズキは4〜5月頃に花を咲かせますが、十字形に広がる花びらのような部分は「総苞」と呼ばれる葉のー種であり、花はその中央部分のみを指します。
秋には紅葉し、樹形も端正なことから趣きあふれる木として親しまれております。
この木が初めてわが国に渡来したのは大正4年のことでした。尾崎東京市長が明治45年にワシントンへ桜を寄贈したそのお礼としてアメリカ合衆国より贈られてきたのです。
記念樹として公園資料館の前にハナミズキが植えられておりますが、これは日比谷園内にあるいくつかの記念樹の中て特に有名です。」
○ハナミズキ2世記念植樹
「原木の子ハナミズキ記念植樹」という地面にさしてあった案内板がなくなり、
ハナミズキの幹に、ハナミズキ2世記念植樹の説明プレートが掲示されました。
(参考)以前あった「原木の子ハナミズキ記念植樹」の説明
「東京市がワシントンへ贈った桜の返礼ハナミズキ渡来80周年
原木の子ハナミズキ
記念植樹
都立園芸高等学校の原木より育成
1996年4月 フェスティバル実行委員会企画」
○ハナミズキ3世
旧日比谷公園管理事務所の前に、ハナミズキ3世と説明プレートがあります。
木の勢いがなく、半分先の枝は枯れています。
(説明板)
「アメリカ合衆国ワシントンに贈られたサクラの返礼で1915年(大正4年)日本に来て、日比谷公園に植樹されたハナミズキの三世です。」
○グリーンアドベンチャー
社団法人青少年交流協会が設置しています。
カバーをめくると木の名前があります。
○売店
・川原売店(4号草地前売店)
サービスセンター隣の売店。売店の前だけ石畳になっています。
売店のおじさんが餌をあげているので、売店横から中へすずめが集まっているのが圧巻です。
・石井売店(3号公会堂前売店)
新幸門入ってすぐの売店。
「売店第5号 石井商事有限会社」の掲示があります。
・阿部売店(大噴水前売店)
閉鎖しています。
・2号陳列場わき売店
閉鎖して売店も撤去されています。
・1号花壇売店
東京都の条例だと売店です。
※東京都立公園条例施行規則によると、一月の使用料は以下とのとおりとなっています。
日比谷公園売店
第一号(花壇売店) 288万8600円 高いね
第二号(陳列場わき売店) 61万9000円
第三号(公会堂前売店) 18万9700円
第四号(草地前売店) 25万2100円
○自転車置場
自転車乗り入れ禁止の公園が多い中、園内に自転車置き場があります。
○公衆電話
たぶんなくなっていくものでしょう。
日比谷公園の住所は「千代田区日比谷公園」が町名で「丁目」の設定はなく、全域が日比谷公園1番街区です。
○千代田区日比谷公園1番1
フェリーチェガーデン日比谷、日比谷サロー、日比谷花壇、日比谷パークセンター
日比谷公園前交番(日比谷公園1番1、6号を受持)
○千代田区日比谷公園1番2
・松本楼
・南部亭(閉店)(盛岡藩南部家の上屋敷が公会堂のところにあった)→Namery
Roasted 日比谷店(2021年12月1日open)
、・小音楽堂(明治38年8月設置、現在の建物は3代目)
・噴水広場
・日比谷自動車駐車場
・HIBIYA RIDE(2013/2/1開業したシャワーや専用ロッカー完備の日比谷公園地下の駐輪施設)
松本楼
南部亭(Namery Roasted 日比谷店)
小音楽堂
日比谷自動車駐車場/HIBIYA RIDE
○千代田区日比谷公園1番3
日比谷公会堂、市政会館(昭和4年の完成)、石井売店、内幸町交番(日比谷公園1番2〜5号を受持)
○千代田区日比谷公園1番4
日比谷図書文化会館
○千代田区日比谷公園1番5
日比谷グリーンサロン(閉店・現在はタリーズコーヒー)
緑と水の市民カレッジ 3階に資料展示室「みどりのiプラザ」、時々企画展を行っています。
大音楽堂(大正12年7月開設。日本宝くじ協会寄贈のプレート)
日比谷グリーンサロン(2018年9月2日閉店)
→スポーツステーション&カフェ「アシックス(asics)」が、2018年11月23日にオープンしました。
→「タリーズコーヒー日比谷公園店」が、2022年5月30日にオープンしました。
○千代田区日比谷公園1番6
日比谷公園サービスセンター、テニスコート(大正9年)、健康広場、日比谷パレス
○三等水準点
○東京タワーの植木
植木が色々と変遷します。東京タワーの時のものです。
○緑化道路
公園と歩道が一体となった緑化道路が、祝田通り及び日比谷通りにあります。
「緑と水のひろば」(公共財団法人東京都公園協会広報誌)
2012年69号 「素晴らしき日比谷公園」
https://www.tokyo-park.or.jp/college/parkfriend/download/pdf/hiroba069.pdf
「日比谷公園 歴史&魅力探険ガイド」(東京都公園協会発行)