Discover 江戸史蹟散歩
 
 出羽三山信仰

 【練馬】
  ○ 出羽三山大権現百八十八ヶ所観音供養塔 (上石神井)
  ○ 出羽三山 秩父 西國 坂東 供養塔     金乗寺(錦) 
  ○ 出羽三山 秩父 西國 坂東 新四國 供養塔 金乗寺(錦)


出羽三山大権現百八十八ヶ所観音供養塔 練馬区上石神井1-11-3

 立野橋交差点に小さな祠があり、[庚申塔]と「月山 湯殿 羽黒 三山大権現 百八十八ヶ所観音供養塔」が
 納められています。

(説明板)
「上石神井立野の庚申塔
 出羽三山大権現百八十八ヶ所観音供養塔
 祠内の左側にある庚申塔は、宝永元年(1704)に上石神井立野村の人々により建てられ、正面には青面金剛立像と三猿像が浮彫りされています。かつて多く見られた旧道の辻に所在する庚申塔の姿を残しています。
 右側の供養塔は、天保十三年(1842)に建てられ、出羽三山(湯殿山・月山・羽黒山)と四国・西国・坂東・秩父百八十八ヶ所観音の文字が刻まれています。
 ○練馬区登録有形民俗文化財 平成二十四年一月登録
  平成二十五年三月  練馬区教育委員会」

     

     

    


金乗院 練馬区錦2-4-28

    

    

(説明板)
「金乗院
 金乗院は、如意山金乗院萬徳寺といい、真言宗豊山派の寺院で本尊は愛染明王です。(豊島八十八ヶ所霊場第三十二番札所)『新編武蔵風土記稿』によると、開山僧は行栄、開基は木下大炊介とされ、寺の沿革によれば、御行栄が文禄年間(一五九二?六)に開いたと記されています。
 墓地には下練馬村名主であった内田家や木下家の墓があります。

●練馬区指定有形文化財
 「金乗院の御朱印状」平成九年(一九九七)三月登録
           平成十四年(二○○二)二月指定
 慶安二年(一六四九)の三代将軍家光から万延元年(一八六○)十四代家茂まで代替わりごとに将軍が寺領十八石九斗余を安堵した御朱印状九点です。(非公開)

●練馬区登録有形文化財
 「金乗院山門」平成三一年(二○一九)二月登録
 築後百年以上は経過していると考えられます。形式は薬医門、屋年は切妻造りで、桟瓦葺きです。区内に残る門では古く、梁などの装飾に江戸時代後期の特徴が残されています。

●練馬区登録天然記念物
 「金乗院の大イチョウ」平成二四年(二○一二)一月登録
 本堂前に生育する高さ一八m、目通り幹囲五m(区内最大)。
 三代将軍家光のお手植えと伝えられているイチョウです。

  令和元年(二○一九)十月  練馬区教育委員会」

  
 

<巡礼供養塔>

 墓地入口の両脇に出羽三山等巡礼供養塔が2基あります。

  
 

 入口右:
  観音菩薩坐像を乗せた巡礼供養塔です。文化8(1811)年。
  正面「奉供養 月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東百番 為二世安樂也」
  左側面「上板橋村」

    

    

 入口左:
  観音菩薩坐像を乗せた巡礼供養塔です。弘化2(1845)年。
  正面「奉順礼 月山 湯殿山 羽黒山 秩父 西國 坂東 新四國 八拾八ヶ所 百八拾八ヶ所供養塔」
  左側面「南無大師遍照金剛 法界平等利益」。
  台石の正面「上板橋村小竹」「二世為安樂也」

      
 

<三代将軍家光御朱印状碑>

   
 

<一石六地蔵尊> 練馬区指定登録文化財(平成5年)

   
 

<弘法大師線刻>

   
 

<奉納金三拾両>

 30円ではなく、三拾両と刻まれている古い奉納碑。

  
 

<大イチョウ>

(説明板)
「金乗院の大イチョウ  平成24年1月登録
  本堂前に生育する高さ18m、目通り幹囲5m(区内最大)、3代将軍家光のお手植えと
  伝えられているイチョウです。
 平成24年3月  練馬区教育委員会 」

    
 

<大師堂ほか>

     
 

<不動明王/地蔵菩薩3体>

     
 

<人形供養塔>

 駐車場にポツンとある「人形供養塔」
 昭和30年12月、くるみ幼稚園一同。

    
 

<下練馬道>

(説明板)
「下練馬道
 この道は、旧下練馬村の今神・本村・重現・早淵など、村のほぼ中央を北東から南西へ走る幹線道の一つでした。
旧川越街道を板橋区上板橋一丁目(旧上板橋村字七軒家)付近でわかれ、練馬区に入ります。錦の金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中之橋で石神井川を渡ります。そこからはさらに練馬城址の東側(豊島園駅西側)を通って清戸道と交叉し、村の良弁塚前から鷺宮福蔵院方面へも通じています。
 下練馬村北端の徳丸本村・脇村との境を川越街道が、南端の中新井村との境を清戸道が通り、両道を結ぶ位置に富士大山道があります。富士大山道は名前の示すとおり、主に信仰の道でした。それに対し、下練馬道は村の中心から近郷の村々へ通じる便利な生活の道でした。
  平成二十八年八月    練馬区教育委員会 」

    


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