【江戸川区】
○ 月山 湯殿山 羽黒山
明福寺 (江戸川)
○ 月山
湯殿山 羽黒山等 蓮華寺 (江戸川) 別頁
○ 羽黒山 月山 湯殿山
安養寺 (平井)
○ 月山 湯殿山
羽黒山 北野神社(本一色)
○ 出羽三山等礼拝供養塔
個人邸宅庭内(松島)
○ 羽黒山
月山 湯殿山等 供養塔 勝曼寺 (新堀) 別頁
○ 羽黒山
湯殿山 月山 供養塔 善養寺 (東小岩) 別頁
○ 月山
湯殿山 羽黒山 善照寺 (東小松川) 別頁
○ 月山
湯殿山 羽黒山等 善照寺 (東小松川) 別頁
<親鸞聖人御旧跡>
<月山 湯殿山 羽黒山>
山門を入って、手水舎の奥に、「善光寺参拝記念碑」と「出羽三山碑」が並んでいます。
<佃観音堂(子育観音)>
<太子堂>
木造聖徳太子立像(江戸川区文化財)が祀られています。
<親鸞堂>
木造親鸞聖人坐像(江戸川区文化財)が祀られています。
<ひといきも くさきのいきとともなれば このみさながら あめつちひろし>
椎尾弁匡師の共生論。
<本堂>
<鏡が池とけさ掛けの松>
「親鸞聖人 鏡池 袈裟掛松」
「親鸞聖人七百年大遠忌記念碑 かがみが池 けさがけの松」
<永代供養/歴代住職墓>
寺院には珍しい富士塚(江戸川区文化財)のある寺です。
富士塚の麓に「出羽三山等礼拝紀念碑」があります。近づけないので詳細不詳。
<説明板>
弁天通りに面して江戸川区教育委員会の説明板があります。
(説明板)
「安養寺
真言宗豊山派で、清瀧山安全院と号し、開山は源理法印といわれています。本尊には阿弥陀如来立像を祀っています。門前には遍照講の建立した弘法大師と肉太で刻まれた石柱がたち、門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂があります。上野不忍池のほとりに住んでいたある商人の夢枕に弁天様が現れ、平井の地に弁財天を祀るようにとのお告げによって、明治一七・八年頃に建立されたものです。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、多数の檀信徒が集まり、大般若経六百巻の転読と、節分護摩豆まき会をおこなっています。山門は安永七年(一七七八)、円覚上人の代に建立されました。
□富士塚 (江戸川区登録有形文化財・歴史資料)
この富士塚は、明治一七年頃、境内の弁天池を拡張したときの土を盛りあげて築いたと伝えられています。昭和三五年頃まで、毎年七月一日の山開きに白い装束の富士講中の人々が参拝していました。
高さ五メートルの頂上にある石祠(浅間神社)は、「□□十三庚寅六月吉日、氏子中」と刻まれているもので、文政十三年(一八三○)の造立と推定されます。また、頂上南側の鐘撞き堂は、もと山の脇にありましたが、昭和四二年に、現在地に移築しました。
昭和六○年には、塚の一部を改造して、弘法大師の石造を納めています。
平成元年三月 江戸川区教育委員会」
<参道>
弁天通りに面して参道入口があります。
<六地蔵/弁天池・弁天堂>
参道左に六地蔵と弁天池、弁天堂があります。
<庚申燈など>
参道右に庚申塔・石仏や祠が並びます。
正徳5(1715)年の笠付庚申塔があり、六臂青面金剛像と邪鬼、三猿。
山門右に無縁塔。
<山門>
山門から先の境内は、幼稚園と一体化しており近づけません。
<富士塚/出羽三山等礼拝紀念碑>
境内は幼稚園と一体化しており、事故防止のためでしょう、富士塚と弁天池は柵に囲まれて入れません。
説明板によると、頂上には、文政13(1830)年に造立の石祠(浅間神社)が祀られているとのことです。
出羽三山等の礼拝紀念碑が富士塚の麓に建っています。
「礼拝紀念 羽黒山 月山 湯殿山 西国 秩父 坂東」の文字が見えます。
下部は植栽で見えません。
真新しい鳥居です。令和元年8月奉納です。
<本一色の石造道標>
(説明板)
「区登録有形文化財・歴史資料
本一色の石造道標
この道標は、旧本一色村の出羽三山講中によって建てられました。もとはこの先、本一色郵便局角にあったものを当境内に移転したものです。
銘文からみると、文政二年(1819)に造立されたもので、上小松、平井、市川、新宿の方向が示されています。
銘文
正面
月山
湯殿山 講中 (一○名連記)
羽黒山
是より左
上小松
平井 道
右面 是より右市川道(六名連記)
文政二卯天十二月
左面 是より右新宿道(七名連記)
背面 本一色村
昭和五十三年七月 江戸川区教育委員会」(平成十八年七月改修)
江戸川区ホームページに「四股の供養塔石造道標」記載が以下にあり、出羽三山等礼拝供養塔があるようです。
松島1丁目の記載と個人邸宅庭内の情報では、目的物にたどりつけませんでした。
「四股の供養塔石造道標
元佐倉道(現千葉街道)とならぶ幹線道路に行徳道がありました。旧中川の平井の渡しから東南に進むとやがて元佐倉道と交差し、今井の渡しに至ります。
その元佐倉道と行徳道の交差するあたりを四股とよんでいました。ここに2基の道標があってこれはその1基です。文化2年(1805)に建立された四方向を示す道標です。その四方向は、行徳、両国、浅草、市川でした。
旧位置の四股が荒川の開削によって失われたのに際して、現在の松島1丁目の邸宅庭内に移設されました。弘化2年(1845)に建立された出羽三山ほかの拝礼供養塔で、側面に「向て右リ両国、左リ市川道」、背面に「向て右リ行徳。左リ浅草道」と刻まれています。
・江戸川区登録有形文化財・歴史資料
・松島1丁目
・昭和58年3月15日 告示」(こちらより引用)
佐倉道と行徳道の交差する四股にあったという2基の道標ですが、
・弘化2年(1845)に建立された出羽三山ほかの拝礼供養塔。
側面「向て右リ両国、左リ市川道」、背面「向て右リ行徳。左リ浅草道」。
・文化2年(1805)に建立された四方向(行徳、両国、浅草、市川)を示す道標。
四つ股の石造四面道標も個人宅庭内に移設されていますが、
天粗神社参道脇に説明板が設置され、道標は個人宅内ですがこちらは公開されています。
(説明板)
「四つ股の石造四面道標
江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
昭和五十八年三月十五日登録
四つ股とは、旧行徳道と旧千葉街道の交差点で、現在の小松川橋の少し上流にありました。この道標は、文化二年(一八○五)、四股に建立されました。大正二年の荒川開さくにより、現地保存が不可能になったため、現在の秋元家庭内に移転しました。
高さは台座から七九センチメートルと小形で、四面に次の四方向を示す銘文が刻まれています。
「大山石尊大権現 北向キ 市川道
秩父三峰山大権現 北向キ 浅草道
讃州金毘羅大権現 北向キ 行徳道
遠州秋葉山大権現 北向キ 両国道」
平成二十五年三月 修繕 江戸川区教育委員会」
<四つ股の石造四面道標>
四股の道標を見学後、天祖神社に参拝。
<天祖神社の由来>
<稲荷神社/疱瘡神社>
右側面には「天下泰平 國土安穏」とあります。造立は文化6(1809)年です。
※善養寺全般については、こちらで記載。