Discover 江戸史蹟散歩

 出羽三山信仰

  【江戸川区】

   ○ 羽黒山 湯殿山 月山 供養塔  善養寺(東小岩)
   ○ 月山 湯殿山 羽黒山      北野神社(本一色)
   ○ 月山 湯殿山 羽黒山      明福寺(江戸川)
   ○ 出羽三山等礼拝供養塔     個人邸宅庭内(松島)
   ○ 羽黒山 月山 湯殿山      安養寺(平井)



〇善養寺 江戸川区東小岩2-24-2

 境内には横綱栃錦像、春日野理事長(栃錦)が影向の松を全国松番付で横綱に推挙した石碑、影向の松の大横綱、 式守伊三郎報恩碑、横綱山など、横綱栃錦が小岩出身だったため相撲に関わるものが色々とあります。

(仁王門の説明板)
「 善養寺
 善養寺は真言宗豊山派で星住山地蔵院と号します。室町時代の大永七年(1527)山城(京都)醍醐山の輌澄法印が霊夢のりお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。永正六年(1509)柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから、寺の草創は寺伝よりさかのぼるものと考えられます。
慶安元年(1648)徳川家から寺領十石の御朱印受けた名刹で、現在の本尊地蔵菩薩は江戸時代の作です。境内に不動堂があり「小岩不動」と呼ばれています。
□影向のマツ(国指定天然記念物 平成二十三年九月二十一日指定)
      (江戸川区登録天然記念物 昭和五十六年一月十三日登録)
 東西の枝の長さ約三十一メートル、南北約二十八メートルに及ぶこの巨大な松は樹齢六00年と推定され、繁茂面積では日本一を競います。「影向」とは神仏が姿をあらわすという意味です。
□天明三年浅間山横死者供養塔(東京都指定有形文化財 昭和四十八年七月指定)
              (江戸川区登録有形文化財 昭和五十六年一月登録)
 天明三年(1873)に起った信州浅間山噴火の被害者が当地先の江戸川へ流れつき、
当寺に葬られました。この塔は十三回忌に当たる寛政七(1795)に地元の人びとによって建てられました。
□小岩不動尊逆井道向石造道標
    (江戸川区登録有形文化財、昭和五十八年三月登録)
□小岩不動尊市川向石造道標
    (江戸川区登録有形文化財 昭和五十八年三月登録)
 二基とも当寺への道を示す道標です。
    平成二十三年十一月  江戸川区教育委員会 」
    
    
 

〇不動門と仁王門

 境内への参内は、不動門と仁王門があります。
 まずは不動門からの参内です。

<案内>

   
 

<青面金剛>

 青面金剛と刻まれた碑と青面金剛(寛政)。
 右に馬頭観音。
 小屋の外に水神。

     
 

<天明3年浅間山噴火横死者供養碑>

(説明板)
「 天明三年浅間山噴火横死者供養碑
   東京都指定有形文化財 昭和四十八年七月十八日指定
   江戸川区登録有形文化財 昭和五十六年一月十三日登録
 天明三年(一七八三)七月、浅間山(長野県)の大噴火がありました。関東一帯に火山灰が降り、山麓では山津波がおこり多くの人家が押し流されました。多数の犠牲者の遺体が利根川や江戸川を流れ下り、この付近の中洲にも流れつきました。地元の下小岩村の人々は、遺体を収容し、手あつく寺内の無縁墓地に埋葬しました。寛政七年(一七九五)の七月に十三回忌をいとなみ、この供養碑を建て、その霊を弔いました。
 この供養碑は、昭和三十年ごろから行方不明になっていましたが、四十七年に寺内て発見され、ここに再建されました。
  平成二十四年三月  江戸川区教育委員会」

   
 

<傘の碑>

(説明板)
「 史跡 傘の碑
 小岩、特に下小岩入谷(現東小岩二・四丁目)付近は、かつては和傘づくりが盛んに行われ、その販路は全国に及んでいた。小岩で傘が作られるようになったのは、一説では里見方の落武者が、この地で傘張りで生計をたてたのが始まりといわれるが、実際に広まったのは江戸時代で、青山付近に住む小禄の御家人が、内職として傘細工を行っていたものを、小岩の村人がそれに師事して技術を習得し、農閑期の副業としてとり入れたのが最初のように思われる。その後、明治後期より大正末期が最盛期で、小岩の傘は「東京の地張傘」と称され、特に蛇の目は高級品であった。
 この碑は、これら地張り組合員の中で、特に業界に功績のあった、川野竹松氏を讃えるために、昭和五年三月建立されたものである。
  昭和五十三年三月  江戸川区教育委員会 」

   
 

<全景>

     
 

<不動門>

 不動門をくぐると、目の前に影向の松があります。

   
 

<講の2つの記念碑>

 不動門をくぐると右手に講の2つの大きな記念碑があります。

  
 

<鐘楼/弘法大師像修行御影>

  
 

<不動堂>

 不動門から入って、正面が不動堂となります。

     



〇仁王門から参内

 参道の始まりに道標と庚申塔などがあります。

  
 

<道標左>

「小岩不動尊逆井道向石造道標」「出羽三山供養塔」「庚申塔」「庚申堂」があります。

    
 

羽黒山 湯殿山 月山 供養塔」
 出羽三山単独の供養塔があります。
 これが目的の参詣でしたが、善養寺は見所満載でした。

     
 

<参道右>

「小岩不動尊市川道向石造道標」「庚申塔」(元禄)「庚申塔」(文政)があります。

    
 

<仁王門>

     
 

<当地出身 名人横綱栃錦像>

 仁王門仁王像の裏には、栃錦像があります。

    
 

<大横綱>

 影向の松の幹に合わせた大横綱を、春日野理事長(元栃錦)が奉納しています。
 仁王像の裏にあります。

   
 

<横綱山>

 過去に境内で子供相撲が開かれていた歴史があり、土俵の土は「横綱山」となっています。

(説明板)
「 横綱山
 昭和五十五年九月七日 この庭で行われた子供相撲大会に、小岩出身の名横綱栃錦関(春日野理事長)が一門の、栃赤城、舛田山、栃光ら関取衆をつれて参加されました。
 それから平成二年まで春日野さんは毎年九月の大会にお出でになり後輩たちを励まして下さいました。
 この山は、その土俵の土で作った山です。郷土の先輩大横綱のはげましに答えて頑張りましょう。
  上って下りて又のぼり 足腰きたえて 元気な子
           子供相撲主催団体 入谷友交会
 山上からの松の眺めは、素敵です。」

   
 

<軍配物語和讃/報恩碑>

 軍配物語和讃が刻まれた式守伊三郎の報恩碑です。

 式守伊三郎が、師匠の遺品である白木のままの軍配を使用した話を、当時の住職の息子さんで、
 現在は密蔵院の住職さんが「報恩軍配物語」として綴っています。感動。「報恩軍配物語
 

    
 

<影向の松>

 こういう松を見ることができるとは驚きました。

(説明板)
「 影向の松
   国指定天然記念物 平成二十三年九月二十一日    江戸川区登録天然記念物 昭和五十六年一月十三日登録
 影向のマツは推定樹齢六00年余、主幹の樹高八m、根元付近の樹周約四.五mのクロマツです。地上二mの位置で、四方に枝が伸び、東西方向約三十一m、南北方向約二十八mに及び景観の秀麗さとあわせて日本屈指の威容を誇ります。
 大町桂月『東京遊行記』(明治三十九年)に、「一大老松の横に広がる者あり。凡そ十間四方に及ぶ。支柱は百を以て數うべし。(中略)東京付近、松の奇観はこの寺に尽きたり」とあります。鏑木清方『新江東図説』(昭和十二年)には、「珍しいのは亭々として雲を凌ぐ星降りの松にも増して、その傍に巨大な傘をさしかけたような影向の松であろう」と書かれています。
 昭和五十六年、四国の岡野松と日本一を競い、当時の大相撲立行司木村庄之助によって東西の横綱に引き分けられました。その後、樹勢に衰えが見られましたが、平成十四年度から平成二十三年度まで樹勢回復事業により回復に向かっています。
  平成二十三年十一月  江戸川区教育委員会 」

    

    

   
 

<横綱推挙石板>

 春日野理事長の、松の横綱に推挙するとの石板です。
 影向のマツとの日本一争いでも名高かった岡野マツは、
 1993年に枯れたため、影向のマツの一人横綱となっています。

  
 

<影向の石>

 影向のマツの根元にあるのが影向の石です。

  
 

〇参道右手

<お釈迦さま聖地宝塔>

     
 

<日露戦役記念碑ほか>

 この手の碑は「紀念」が一般的表記ですが、「記念」と刻まれています。

   
 

<力石>

 力石が多いです。江戸川区登録文化財です。

  
 

<三界萬霊塔>

 文化5年の三界萬霊塔。三界萬霊塔は久しぶりに見ました。

   
 

<他>

   
 

〇参道左手

<庚申塔>

 新四国遍路道の入口に庚申塔があります。天保3年。

   
 

<新四国遍路道/四国八十八ヶ所霊場>

 簡易に巡れる四国八十八ヶ所霊場です。
 中央の敷石を踏んで両側の88ヶ所の石祠を巡礼すると、四国遍路をすることができます。
 大正時代に造られたものです。

    

   
 

<行基句碑と行基の像>

 碑に刻まれている句の内容から、鯖をもらった行基の像だと推測します。
 見応えある句碑と行基像です。

 「阿州八坂八浜 行基堂
  あふさかや八坂さかなか鯖ひとつ行基にくれて馬の
  はら病む はら止む」

    
 

<大師堂>

 大師堂の横に寄進の碑。近くに詳細不明の碑。

    
 

<特操顕彰の碑>

   
 

<本堂/びんずる尊者>

 本堂左にびんずる尊者。

    

    

   



本一色石造道標 江戸川区本一色2-22-5(北野神社)

 真新しい鳥居です。令和元年8月奉納です。

    

     
 

<本一色の石造道標>

(説明板)
「区登録有形文化財・歴史資料
 本一色の石造道標
 この道標は、旧本一色村の出羽三山講中によって建てられました。もとはこの先、本一色郵便局角にあったものを当境内に移転したものです。
銘文からみると、文政二年(1819)に造立されたもので、上小松、平井、市川、新宿の方向が示されています。
  銘文
 正面
   月山
   湯殿山 講中 (一○名連記)
   羽黒山
    是より左
    上小松
    平井  道
 右面 是より右市川道(六名連記)
    文政二卯天十二月
 左面 是より右新宿道(七名連記)
 背面 本一色村
  昭和五十三年七月 江戸川区教育委員会 」
           (平成十八年七月改修)

     

    



明福寺 江戸川区江戸川3-8-1

<親鸞聖人御旧跡>

    
 

<月山 湯殿山 羽黒山>

 山門を入って、手水舎の奥に、「善光寺参拝記念碑」と「出羽三山碑」が並んでいます。

    

   
 

<佃観音堂(子育観音)>

   
 

<太子堂>

 木造聖徳太子立像(江戸川区文化財)が祀られています。

   
 

<親鸞堂>

 木造親鸞聖人坐像(江戸川区文化財)が祀られています。

    

 
<ひといきも くさきのいきとともなれば このみさながら あめつちひろし>

 椎尾弁匡師の共生論。
   
   
 

<本堂>

    
 

<鏡が池とけさ掛けの松>

 「親鸞聖人 鏡池 袈裟掛松」
 「親鸞聖人七百年大遠忌記念碑 かがみが池 けさがけの松」

     
 

<永代供養/歴代住職墓>

   



出羽三山等礼拝供養塔(四股の供養塔石造道標) 江戸川区松島1丁目個人邸宅庭内

 江戸川区ホームページに「四股の供養塔石造道標」記載が以下にあり、出羽三山等礼拝供養塔があるようです。
 松島1丁目の記載と個人邸宅庭内の情報では、目的物にたどりつけませんでした。

「四股の供養塔石造道標
 元佐倉道(現千葉街道)とならぶ幹線道路に行徳道がありました。旧中川の平井の渡しから東南に進むとやがて元佐倉道と交差し、今井の渡しに至ります。
 その元佐倉道と行徳道の交差するあたりを四股とよんでいました。ここに2基の道標があってこれはその1基です。文化2年(1805)に建立された四方向を示す道標です。その四方向は、行徳、両国、浅草、市川でした。
 旧位置の四股が荒川の開削によって失われたのに際して、現在の松島1丁目の邸宅庭内に移設されました。弘化2年(1845)に建立された出羽三山ほかの拝礼供養塔で、側面に「向て右リ両国、左リ市川道」、背面に「向て右リ行徳。左リ浅草道」と刻まれています。
 ・江戸川区登録有形文化財・歴史資料
 ・松島1丁目
 ・昭和58年3月15日 告示」(こちらより引用



四つ股の石造四面道標 江戸川区西小松町

 佐倉道と行徳道の交差する四股にあったという2基の道標ですが、
 ・弘化2年(1845)に建立された出羽三山ほかの拝礼供養塔。
  側面「向て右リ両国、左リ市川道」、背面「向て右リ行徳。左リ浅草道」。
 ・文化2年(1805)に建立された四方向(行徳、両国、浅草、市川)を示す道標。
 

 四つ股の石造四面道標も個人宅庭内に移設されていますが、
 天粗神社参道脇に説明板が設置され、道標は個人宅内ですがこちらは公開されています。

   
 

(説明板)
「四つ股の石造四面道標
  江戸川区登録有形文化財(歴史資料)
  昭和五十八年三月十五日登録
 四つ股とは、旧行徳道と旧千葉街道の交差点で、現在の小松川橋の少し上流にありました。この道標は、文化二年(一八○五)、四股に建立されました。大正二年の荒川開さくにより、現地保存が不可能になったため、現在の秋元家庭内に移転しました。
 高さは台座から七九センチメートルと小形で、四面に次の四方向を示す銘文が刻まれています。
「大山石尊大権現  北向キ 市川道
 秩父三峰山大権現 北向キ 浅草道
 讃州金毘羅大権現 北向キ 行徳道
 遠州秋葉山大権現 北向キ 両国道」
  平成二十五年三月 修繕  江戸川区教育委員会」

  
 

四つ股の石造四面道標>

     



天祖神社 江戸川区西小松川町1-3

 四股の道標を見学後、天祖神社に参拝。

     
 

<天祖神社の由来>

   
 

<稲荷神社/疱瘡神社>

   



安養寺 江戸川区平井6-53-1

 寺院には珍しい富士塚(江戸川区文化財)のある寺です。
 富士塚の麓に「出羽三山等礼拝紀念碑」があります。近づけないので詳細不詳。
 

<説明板>

 弁天通りに面して江戸川区教育委員会の説明板があります。

(説明板)
「安養寺
 真言宗豊山派で、清瀧山安全院と号し、開山は源理法印といわれています。本尊には阿弥陀如来立像を祀っています。門前には遍照講の建立した弘法大師と肉太で刻まれた石柱がたち、門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂があります。上野不忍池のほとりに住んでいたある商人の夢枕に弁天様が現れ、平井の地に弁財天を祀るようにとのお告げによって、明治一七・八年頃に建立されたものです。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、多数の檀信徒が集まり、大般若経六百巻の転読と、節分護摩豆まき会をおこなっています。山門は安永七年(一七七八)、円覚上人の代に建立されました。

□富士塚 (江戸川区登録有形文化財・歴史資料)
 この富士塚は、明治一七年頃、境内の弁天池を拡張したときの土を盛りあげて築いたと伝えられています。昭和三五年頃まで、毎年七月一日の山開きに白い装束の富士講中の人々が参拝していました。
 高さ五メートルの頂上にある石祠(浅間神社)は、「□□十三庚寅六月吉日、氏子中」と刻まれているもので、文政十三年(一八三○)の造立と推定されます。また、頂上南側の鐘撞き堂は、もと山の脇にありましたが、昭和四二年に、現在地に移築しました。
 昭和六○年には、塚の一部を改造して、弘法大師の石造を納めています。
  平成元年三月  江戸川区教育委員会」

  
 

<参道>

 弁天通りに面して参道入口があります。

   
 

<六地蔵/弁天池・弁天堂>

 参道左に六地蔵と弁天池、弁天童があります。

   
 

<庚申燈など>

 参道右に庚申塔・石仏や祠が並びます。
 正徳5(1715)年の笠付庚申塔があり、六臂青面金剛像と邪鬼、三猿。
 山門右に無縁塔。

     
 

<山門>

 山門から先の境内は、幼稚園と一体化しており近づけません。

    
 

<富士塚/出羽三山等礼拝紀念碑>

 境内は幼稚園と一体化しており、事故防止のためでしょう、富士塚と弁天池は柵に囲まれて入れません。
 説明板によると、頂上には、文政13(1830)年に造立の石祠(浅間神社)が祀られているとのことです。

 出羽三山等の礼拝紀念碑が富士塚の麓に建っています。
 「礼拝紀念 羽黒山 月山 湯殿山 西国 秩父 坂東」の文字が見えます。
 下部は植栽で見えません。
 
   


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