【足立区】東部(その2)
〇 月山 湯殿山
羽黒山 一ツ家稲荷神社(一ツ家)
○ 月山 湯殿山
羽黒山 下谷中稲荷神社(谷中)
<栗原新田の鎮守社>
当地は綾瀬川沿いにある栗原村の飛地で、栗原村の新田開発により栗原新田とも唱えられていました。
当社は栗原新田の鎮守として祀られたのではないかとされます。
「栗原新田念仏講中」奉納の供養塔に栗原新田の名称が見受けられます。
小さな神社ながら、石造物が多いです。大きな道路碑も2つあり、念願の道路だったのでしょう。
西之宮稲荷神社が兼務社です。
<出羽三山>
「月山 湯殿山 羽黒山 奉納 西國 坂東 秩父」
安永8(1779)年。
「湯殿山拾五度諸願成就」
宝永8(1711)年。
湯殿山に15度も行かれたのですね。
秩父板東二百二十三の文字も刻まれています。
<念仏講供養塔>
石造群の一番手前の小屋付の供養塔です。
安永9(1780)年。「栗原新田念仏講中」と刻まれています。
<庚申供養塔>
元禄6(1693)年。2鶏、3猿が刻まれています。
中央「奉造立庚申二世安楽所」
<弁財天>
<三峯社>
三峯社は、区画整理のために稲荷神社へと移ってきています。
西之宮稲荷神社が兼務社です。
現在の参道は区画整理のため東から入るL字型になっています。
以前は本殿のある北に向かって一直線だったようです。
<愛郷之碑>
土地区画整理事業完了の記念碑「愛郷之碑」が建っています。
(碑文)
「此処下谷中の里は古来長左衛門神殿と稱し 当時以来三百八十有余年の永きに亘り緑濃く稲穂波うつ豊穣なる農地として静かに栄え来れる処なり(以下略)
昭和五十年八月一日」
<参詣記念碑2基/庚申塔2基>
境内の入口に参詣記念碑と庚申塔が並んでいます。
一番左:
「月山 湯殿山 羽黒山 西國 坂東 秩父 百番」
「安永八己亥年正月八日」(1779)
一番右:「月山 湯殿山 羽黒山 西國 板東 秩父 百番」(安政2(1855)年)。
中央:庚申塔2基(宝暦11(1761)年と元禄6(1693)年)
<百度石/境内社>
<薬師堂>
薬師堂は、この地を開発した吉野家の私有墓地にあったものを、区画整理後に新築移転したもの。
<谷中新田>
谷中新田は、浅野久右衛門が開墾した「久右衛門新田」と、吉野長左衛門が開発した「長左衛門新田」の通称です。
一般的には久右衛門新田を「上谷中新田」、長左衛門新田を「下谷中新田」と呼びました。
下谷中稲荷神社は長左衛門新田の鎮守でした。
<中居堀親水水路>
下谷中稲荷神社脇に「石垣の小滝」があります。
しょうぶ沼公園を流れてきた水流が地上に流れ出ます。
(「中居堀親水水路」についてはこちらで記載)。