○ 玉林寺
○ 玉林寺のシイ/望湖山
○ 玉林寺の墓地
○ 玉林寺の小径
・谷中富士
・ヒマラヤ杉
望湖山玉林寺は、天正19(1591)年に創建、谷中寺町にある古寺です。
<山門前>
山門前にあるのが、
・石碑「横綱千代の富士像」
・石碑「蝦夷地探険家 秦檍丸先生墓」
・説明板「玉林寺のシイ」
「千代野富士像」
境内の本堂前右手にあります。
「秦檍丸先生墓」
秦檍丸は、江戸時代の蝦夷地探検家・アイヌ民族研究家・間宮林蔵の師。
墓は本堂裏手の墓地にあります。
「王林寺のシイ」
巨樹のスダジイは、
本堂裏手の防空壕のある山を登って行いくと、山頂の手前右手にあります。
<王林寺のシイ>
(説明板)
「東京都指定天然記念物
玉林寺のシイ
所在地 台東区谷中一ー七ー十五
指 定 昭和四十年三月三十一日
望湖山玉林寺は天正一九年(一五九一)現在地に創建された曹洞宗の寺院である。本堂裏側にそびえるシイの種類はスダジイであり、幹囲り五.六三メートル、樹高九.五メートル、枝張りは東に三.五メートル、西に二メートル、南に七.五メートル、北に四メートルを計る。玉林寺創建以前から存在していたと言われ市街化した地域に遺存する巨樹として貴重である。
平成三年から平成五年にかけて大規模な外科手術を行った結果、樹勢は回復しつつある。スダジイは、一般にシイノキと呼ばれるブナ科の常緑高木で、福島県・新潟県以南の本州・四国・九州・沖縄に分布する。
雌雄同株で六月頂上部に雄花の穂を、下部に雌花の穂を出す。果実は、一.五センチ程の大きさで二年目に熟し食用となる。材は家具・建築・パルプ用材として広く使われている。
平成六年三月三十一 建設 東京都教育委員会」
<奉献石燈籠>
言問通りに面して、増上寺の奉献石燈籠があります。
有章院殿(7代将軍家継)と、惇信院殿(9代将軍家重1基)の石燈籠です。
台東区は寛永寺の石燈籠が多く、増上寺の石燈籠があるのは、玉林院と林光院の2寺だけです。
・参道左
「奉献上石燈籠両基
増上寺
有章院殿 尊前」
正徳六(1716)年四月の奉献です。
・参道右
「奉獻 石燈籠 壱基
武州増上寺
惇信院殿 尊前」
織田信旧(丹波国柏原藩第3代藩主)による宝暦十一(1761)年六月の奉献です。
<宝篋印塔>
<山門>
「日出乾坤耀」
山門脇の石碑には「日出乾坤耀」と刻されています。
山門右「香華院 望湖山」
山門左「曹洞宗 玉林寺」
第58代横綱千代の富士の顕彰像があります。
平成23(2011)年の建立です。
検索すると九重親方が出席しての除幕式のスポーツ新聞等の記事がヒットします。
「第五十八代横綱
千代の富士
當山二十世王潤孝雄代」
「横綱千代の富士像建立の碑」
<奉献石燈籠>
本堂前に、増上寺の奉献石燈籠が2基あります。
2基とも、有章院殿(7代将軍家継)の石燈籠です。
・本堂左
「奉献石燈籠 両基
武州増上寺
有章院殿 尊前」
表面が一部剥がれて読めませんが、正徳六(1716)年四月の奉献でしょう。
・本堂右
「奉献石燈籠
武州増上寺
有章院殿 尊前」
正徳六(1716)年四月の奉献です。
<正岡容句碑>
「おもひ皆叶ふ春の灯点りけり」
猫を型どった落款です。
墓地に墓があるようです(未確認)。
<その他石碑>
<本堂>
東京都特別天然記念物の巨樹スタジイに向かいます。
墓地への階段を上がらず、右手の木戸をくぐり通路を進むと庭池に出ます。
池の右からでも左からでも防空壕の出入口を経て到達できますが、左手は足場が悪いです。
<文明院殿塔前石燈籠>
庭池の先に、ぽつんと一基ある石燈籠。
文明院殿と刻まれています。
文明院とはだれ?尊前ではなく塔前と刻まれています。
山の中には、燈籠のパーツが散乱しています。
<防空壕>
山の下に防空壕があります。残っているのは珍しい。
北側
南側
<スダジイ> 東京都指定天然記念物 台東区保存樹木
玉林寺が天正19(1591)年に建立する前からあった古木です。
<山頂/望湖山>
スダジイから山頂へ向かいます。
・墓
途中右手に、愛犬タローとモモの墓。
庭池の左から来ると、ここに出ます。
・山頂
山号の望湖山は、徳川家光が不忍池を望見したことに由来しているようですが、
山頂からの景色は視界が遮られてサッパリです。
徳川家光も登った場所であろうし、歴史的なスポットかと思います。
・山頂の巨樹
山頂に台東区の保存樹「タブノキ」の巨樹があります。
3枚目は墓地から見た山頂の「タブノキ」です。
「江戸切絵図」
江戸切絵図から、玉林寺部分の抜粋です。
最初の1枚は、根津権現社を含めて抜粋、2枚目は不忍池を含めて抜粋。
江戸時代は、不忍池がよく望見できそうです。
「東都名所 不忍之池」(広重)
望湖山から、不忍池が見えたということは、不忍池からも玉林寺のシイが見えたのでしょう。
矢印↓が玉林寺のシイの立っている辺りです。
墓地入口階段手前の通路に、ベンチが2脚置かれています。
墓地入口の左手にトイレ。
右手に古井戸があります。
墓地入口階段。左右に無縁仏が並びます。
墓地からは、奥山(望湖山)の全景が見えます。
玉林寺の路地にある巨樹の全体像も見えます。
<秦檍丸(はたおきまろ)の墓>
墓地入口の階段を上がり奥に向かうと、左手に墓誌が見えます。
墓誌を左に曲がると秦檍丸の墓があります。
「墓誌
蝦夷地探検家秦檍丸先生墓
檍丸先生伊勢国に生れ村上島之允
と称し伊豆三島江戸等に住み幕府
普請役御雇として近藤重蔵間宮林
蔵らと蝦夷地測量の事に従う 文
化五年八月十二日江戸に於て病没
享年四十九歳
法名 無庵建了信士」
墓石「秦檍丸君墓」
玉林寺の参道から、右手に折れる路地があります。
ネットでは、玉林寺より有名かもしれません。
曲がりくねった路地を進んでいくと、石階段にぶつかります。
石階段脇には井戸があります。「野田家専用」の木札がかかっています。
石階段を上ると、大木が現れます。
クランクで左に道なりに進むと、次のクランクに長運寺(谷中5-2-22)があります。
突き当りを左に曲がると、妙福寺(谷中1-7-41)があります。
路地の先にヒマラヤ杉が見えました。ヒマラヤ杉の手前に「谷中富士」がありました。
玉林寺の小径を歩いてくると、ヒマラヤ杉手前、右手に「谷中富士」があります。
小さいながら目立つのですぐわかります。小さいので登れませんが通年で参拝できます。
境内には、南北朝時代の古い板碑が据えられています。
説明板が掲示されていて、英語の説明文まであります。
谷中富士のスタンプまで置かれています。至れり尽くせり。
谷中富士で検索すると、千代の富士までヒットするので、マイナーな富士塚です。
(説明板)
「(冒頭省略)
ここはお寺に挟まれた三角地で、江戸時代の地図にも「谷中村分」とあり富士塚や井戸もあったことから、人々の集まる処だったことが窺えます。
千寿庵の庵主は長年、書画や富士講、富士塚など江戸の文化を研究して来ましたが、この昭和初期の長屋を修繕するにあたり、敷地内に古い小さな富士塚があることを知り、深い縁を感じました。
そこで、北口本宮富士浅間大社宮司上文司厚氏より、「谷中富士」という名前をいただき、皆様がお参りできるよう周りを整備いたしました。
富士塚を拝む方向に富士山があります。どうぞお参りください。」
(なお、富士山は、富士塚を拝む方向の90度左手の方向にあります。)
※「みかどパン店」は、店主高齢のため、2021年10月10日に閉店しました。
以下は、営業していた時の記録です。
谷中寺町のシンボル、みかどパン店のヒマラヤ杉です。
ヒマラヤ杉はバッサリと剪定されて、スッキリしています。
ヒマラヤ杉の間からスカイツリーが見えます。