Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 江戸城

  ○ 柳の井
  ○ 櫻の井
  ○ 銀座の柳


柳の井 東京都旧跡 千代田区千代田1-1桜田濠沿い

 桜田濠を背に案内板があります。
 土手の柳の横に「柳の井」があります。

(説明板)
「東京都指定旧跡 昭和三十年三月二十八日指定
 柳の井
 江戸の地誌には、名水として知られる井戸が、数多く紹介されています。井戸の傍らに植えられた樹木の名前にちなんで、名付けられるものも多くあります。
 桜田濠の土手下にも井戸があり、傍らに柳の木にちなんで、柳の井と呼ばれています。江戸時代に名水として知られ、通行人に喜ばれていました。
 真後ろの国会前庭の一角にある桜の井とともに、東京都教育委員会により旧跡として文化財指定されました。
 なお、桜田濠の土手は立入が禁止されていますので、柳の井の真上にあたるこの場所に説明板を設置しています。
  昭和三十二年三月 千代田区教育委員会(平成二十七年三月補修)」

    

「江戸名所図会 柳の井」

  

「江戸名勝図会 桜田」(広重)
  左上に解説付です。 

「東都三十六景 外さくら田」(広重)

     

「江戸名所道戯尽 四十四 外桜田柳の井」(歌川広景 辻岡屋 万延1年)
  柳の井で水を飲もうとした男たちですが、井戸の中の鬼の顔に腰を抜かしています。
  柳には、鬼の絵柄の凧がひっかかっていて、井戸の鬼と同じ図柄です。凧の鬼の図柄に驚く男たちでした。

   

「絵本江戸土産 外櫻田」(広重)
 (解説)「外桜田は 諸侯の弟宅甍をならべ 音に聞えし霞ヶ関には佐保姫が衣や覆わん
      御堀の岸に一樹の柳あり 春は青みての殊更うるわし」

  

「絵本江戸土産 外櫻田 弁慶堀 糀町」(広重)
  麹町方面から見た絵のようです。東京湾が見えます。

  

「東京府史蹟 柳の井」(東京府編 洪洋社 大正8)
「東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖.第1輯 柳の井」(東京市公園課編 1922)

   


○江戸の名水「櫻の井」 東京都旧跡 千代田区永田町1-1

 2度移設され、現在は憲政記念館の公園内にあります。
 ・昭和43年に道路工事のために10mほど移設、
 ・平成28年8月に現在の場所に移設。
 石枠だけ移設されているので、井戸の役目は持ち合わせていません。

(説明プレート)
「東京都指定旧跡 江戸の名水「櫻の井」
 「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。三連式釣瓶井戸で、縦約一.八メートル、横約三メートルの石垣で組んだ大井戸で三本の釣瓶を下ろし、一度に桶三杯の水が汲め、幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。
 江戸名所図会に絵入りで紹介され、 歌川(安藤)広重の「東都名所」の「外櫻田弁慶櫻の井」(天保十四年(一八四三)(図)にも描かれている。安政七年(一八六○)三月三日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から登城途中、暗殺された。
 大正七年(一九一八)史蹟に定められ、東京都は昭和三十年(一九五五)旧跡指定。
 昭和四十三年(一九六八)道路工事のため交差点内から原形のまま十メートル離れた現在地に移設復元された。
 平成一九年(二○○七)彦根城築城四○○年祭と東京金亀会設立九十周年に記す
  平成十九年十月
    東京金亀会(滋賀県立彦根中学校・彦根東高等学校同窓会)
    東京都教育委員会」

 現在の場所への移転作業

    

    

 以前の場所撤去作業

    

 以前の場所に看板設置

     

<移設後>

    

「江戸名所図会 櫻の井」

  

「東都名所外桜田弁慶堀桜の井」広重 「外桜田雪あがりの朝」広重

   

「東京府史蹟 櫻の井」(東京府編 洪洋社 大正8)
「東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖.第1輯 櫻が井」(東京市公園課編 1922)
  当時は、散水用に使われていたとのこと。

   

<この地の由来>石碑

 石燈籠がありますが、これは移設されたもので、井伊家の燈籠ではないようです。

 (銘文)
 「 この地の由来
  室町時代の末期、太田道灌がよんだ
  「わが庵は松ばらつゞき海ちかくふじの高根を軒端にぞ見る」
  という歌の松原の一角に連なっていたこの地は、江戸時代のはじめ、加藤清正が居住し、
  寛永年間に井伊家の居所となり、明治初頭に及んだ。
  開国の難衝に当たった大老井伊直弼もここに住んでいた。
  明治以降、弾正台ついで参謀本部の所在地となった。
  この地にある日本水準原点は、明治二十四年に設けられた。
  昭和二十七年、この地は衆議院に移管され、
  三十五年、憲政の功労者尾崎行雄を追念してここに浄財で記念会館が建設された。」

   

<明治の頃の参謀本部>

  
 出典:「東京風景」小川一真出版部 明44.4(1911)


銀座の柳 千代田区皇居外苑1-1

 桜田橋から祝田橋の凱旋壕端に、銀座の柳の2世、3世が植えられています。

(説明板)
「銀座の柳二世
 この柳は、昭和43年銀座通りから姿を消した「銀座の柳」の二世です。銀座の柳の枝を挿し木とし椎葉一二氏・勝又康雄氏が心を込めて育てあげられました。
 このたびお二人のご厚意により寄贈されました。
  平成15年10月24日 東京国道事務所」

   


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