Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 上野公園

  ○ 寛永寺時鐘堂
  ○ 上野大仏
  


寛永寺時鐘堂 台東区上野公園4-58

 「精養軒」手前の崖に「時の鐘」があります。
 「花の雲 鐘は上野か 浅草か 芭蕉」

 正午の鐘撞(かねつき)を、しばし聴きました。

(説明文)
「時の鐘    台東区上野公園四番
 花の雲 鐘は上野か 浅草か
 芭蕉が詠んだ句はここの鐘のことである。
 時の鐘は、はじめ江戸城内で撞かれていたが、寛永三年(一六二六)になって、日本橋石町三丁目に移され、江戸市民に時を告げるようになったという。元禄以降、江戸の町の拡大に伴い、上野山内、浅草寺のほか、本所横川、芝切通し、市谷八幡、目白不動、目黒円通寺、四谷天龍寺などにも置かれた。
 初代の鐘は、寛文六年(一六六六)の鋳造。銘に「願主柏木好古」とあったという。その後、天明七年(一七七八)に、谷中感応寺(現、天王寺)で鋳造されたものが、現存の鐘である。正面に「東叡山大銅鐘」、反対側には「天明七丁未」、下に「如来常住、無有変易、一切衆生、悉有仏性」と刻まれている。
 現在も鐘楼を守る人によって、朝夕六時と正午の三回、昔ながらの音色を響かせている。
 なお、平成八年六月、環境庁の、「残したい日本の音風景一○○選」に選ばれた。
  平成八年七月  台東区教育委員会」

    

    


上野大仏  台東区上野公園4-8

 第二次大戦時に胴体を徴用されて、お顔のみが残されました。
 胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で「合格大仏」と呼ばれ祈願されています。

 お顔に触れてお参りできる珍しい大仏ですが、新型コロナの影響がここにも出ており、
 現在は以下掲示があるように、お顔に触れることはできません。
 「新型コロナウィル感染拡大を防ぐ為、大仏に触れてお参りすることをご遠慮下さい。」(掲示)

 寛永寺の絵師・関良雪の宝篋印塔があります。

     

      


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