Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 渋沢栄一生誕の地/下手計

  ○ 尾高惇忠生家
  ○ 鹿島神社
  ○ 渋沢栄一記念館/渋沢栄一銅像


尾高惇忠生家(深谷市指定史跡) 深谷市下手計236

 尾高惇忠は渋沢栄一の従兄弟であり、論語の師として、渋沢栄一の思想に多大なる影響を及ぼした人物です。
 富岡製糸場(群馬県富岡市)の初代場長を務めました。

 渋沢栄一は、論語をはじめ様々な学問をここで習いました。
 さらに青年期の渋沢栄一は、この2階で高崎城乗っ取り計画を謀ったと伝えられています。

 現在、土地建物ともに個人所有です。

    

    

    


鹿島神社 深谷市下手計1145

 鹿島神社は、論語の道沿いにあります。
 鹿島神社は旧下手計村の鎮守で、渋沢栄一らによって建てられた「藍香尾高翁頌徳碑」などがあります。

<社号標/参道>

     

<藍香尾高翁頌徳碑> 深谷市指定有形文化財

 渋沢栄一らによって建てられた尾高惇忠の人となりや業績を伝える「藍香尾高翁頌徳碑」が建っています。
 石碑の上部の題字は、徳川慶喜篆額です。

(説明板)
「藍香尾高翁頌徳碑について
 尾高惇忠を敬慕する有志によって建てられたこの碑の除幕式は、明治四十二年(一九○九)四月十八日に挙行されました。
 おりから桜花満開の当日、澁澤栄一はじめ穂積陳重、阪谷芳郎、島田埼玉県知事など、建設協賛者である名士多数が臨席されました。その際、尾高惇忠の伝記「藍香翁伝」が参列者一同に配布されたのです。
 碑の高さは役四・五メートル、幅は約一・九メートル、まさに北関東における名碑の一つです。石碑の上部の題字は、澁澤栄一が最も尊敬する最後の将軍、徳川慶喜によるものです。碑文は三島毅、書は日下部東作、碑面に文字を刻む細工は東京の石工・吉川黄雲がそれぞれ当たりました。
 郷土の宝物であるこの名碑を大切にし、藍香翁はじめ先人の遺徳を偲び、共に感激を新たにいたしましょう。
 平成十七年十月」

    

    

<拝殿>

 拝殿の「鹿島神社」の扁額は渋沢栄一の揮毫です。
 「従三位勲一等男爵澁澤榮一謹書」
 もう一つの額は、尾高次郎(尾高惇忠の子)の揮毫です。

     

     

<神木>

 大欅の根元に湧いた神水で共同風呂が設けられ、
 渋沢栄一の母、栄はこれを汲みハンセン病患者の背を流したそうです。
 現在は大欅は枯れ、井戸も枯れています。

     

(説明板)
「鹿島神社
 下手計の鎮守社で、拝殿には渋沢栄一揮毫になる「鹿島神社」の扁額が掲げられている。
 境内には、栄一の師である尾高惇忠の偉業を称える藍香尾高翁頌徳碑が建立されている。
 この碑の篆額は徳川慶喜公の揮毫である。また、撰文は三島毅文学博士(号 中洲)、書は日下部東作(号 嗚鶴)によるものである。
 今では朽木となったが、大欅の根元に沸いた神水で共同風呂が設けられていた。栄一の母、栄はこれを汲み、らい患者の背を流したと伝えられている。
 栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
    深谷市 」

  

<三峯講社など>

 裏手左には三峯講社、本殿右に八坂神社、本殿裏には香取神社などがあります。

    

<戦捷紀念碑ほか>

 希辞書。明治40年2月、八基村が建立しています。

    

<北の鳥居>

 神社裏に建てられた北の鳥居です。

  


渋沢栄一記念館/渋沢栄一銅像 深谷市下手計1204

 資料展示室は撮影禁止なので、展示室内の画像はありません。

    

    

<深谷の三偉人>

(プレート文)
『富岡製糸場と深谷の三偉人』
「深谷市は、平成26年に世界文化遺産に登録された富岡製糸場の設立に深く関わった渋沢栄一・尾高惇忠・韮塚直次郎三氏の偉業を称え、顕彰しています。
 渋沢栄一は明治政府において官営製糸場設置を推進し、尾高惇忠は富岡の地にフランス式機械製糸場を竣工、初代場長として運営を行い、韮塚直次郎は富岡製糸場の巨大建造物を支える煉瓦などの資材調達に尽力しました。
  ※このレリーフは、石坂産業株式会社創業者である石坂好男氏の寄附により制作しました。」

     

  

<渋沢栄一アンドロイド>

  

<渋沢栄一銅像>

 「渋沢栄一」銅像は、1995(平成7)年「渋沢記念館」の開館を機に、深谷駅から移設されました。
 渋沢栄一記念館の裏手にあります。多目的ホールから銅像のある外に出ることができます。

    


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