Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 渋沢栄一生誕の地/その他

  ○ 誠之堂・清風亭
  ○ 日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設
  ○ 深谷駅
    ・深谷駅舎
    ・渋沢栄一像
    ・渋沢栄一からくり時計
    ・渋沢栄一と日米人形交流
  ○ 渋沢栄一翁像(胸像) 深谷市役所
  ○ 道の駅おかべ
  ○ 赤城乳業本社
  ○ 七ツ梅


誠之堂・清風亭 深谷市起会110-1大寄公民館

 1916年に第一銀行の行員たちがお金を出し合って建てたのが「誠之堂」(国重要文化財)です。
 第一銀行の頭取だった渋沢栄一の喜寿を記念して清和園に建てられたもので、
 元々は東京都世田谷区にありましたが深谷市が譲り受けてこの地に移築されました。

 第一銀行中庭にあった「第一銀行頭取男爵渋澤榮一像」は、
 昭和9年に第一銀行の保養施設「清誠和園」の誠之堂に移設されましたが、
 現在は渋澤栄一の旧飛鳥山邸に建っています。
 

<大寄公民館で受付/展示>

    

    
 

<説明板>

 誠之堂と清風亭は、世田谷区瀬田の第一銀行の保養施設「清和園」の敷地内に建てられていました。
 誠之堂の設計者は清水組(現清水建設)の田辺淳吉で、誠之堂は、田辺淳吉の代表作と言われています。

    
 

<清和園>

 昭和29年の清和園の碑があります。碑も一緒に移設しており、感心します。

    
 

<誠之堂>「喜壽」>

 暖炉の背面外壁に3種類の色合いの煉瓦で「喜壽」の文字が表されています。

   
 

<ステンドグラス>

 ステンドグラスのモチーフは、中国・漢時代の「画像石」の人物群からとられました。
 化粧所扉のステンドグラスは鳳凰と龍のデザインです。

     

    
 

<誠之堂内>

     

    

   
 

<渋沢栄一レリーフ>

 暖炉の上に渋沢栄一のレリーフ

     
 

<清風亭>

 第一銀行2代目頭取の佐々木勇之助の古希(70歳)を記念し、行員たちによって建てられました。
 関東大震災後に建てられ、当時としては珍しい鉄筋コンクリート建築です。

     
 

<渋沢栄一翁ブロンズ像>

 「この像は翁の喜寿を記念して作られ、佐々木勇之助氏に贈られたものです。」

    

   


日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設 深谷市上敷免28-10

 1887(明治20)年に日本煉瓦製造株式会社が渋沢栄一らによって設立されました。
 保存修理工事のため見学休止中、再開は令和6年頃の予定です。
 日本で最初の洋式煉瓦製造所は、1872(明治5)年、小菅に設立された「盛煉社」です。

 誠之堂展示より

   


深谷駅北口 深谷市西島町1-7深谷駅北口

<深谷駅舎>

 東京駅に深谷産のレンガが使われていることにちなんで、
 1996年の改築時に赤レンガ駅舎をモチーフにして建てられました。
 深谷駅舎はレンガは使っておらず、実はタイル貼りです。
 自販機もレンガ模様です。

    

    
 

<渋沢栄一像 青淵広場> 深谷市西島町1-7深谷駅北口

 平成8(1996)年7月建立です。

    

   
 

<渋沢栄一からくり時計>

 平成24年2月12日除幕式。

 普段はゆるキャラ「ふっかちゃん」がいますが、
 定刻になると「青い目の人形」と「市松人形」をもった渋沢栄一が登場します。
 渋沢栄一が人形による国際交流を行ったことがイメージされています。

     

     
 

<国際交流にも尽力 渋沢栄一と日米人形交流>

 日米親善人形の取り組みは、1926年に米国で始まりました。
 同志社大や京都大学で神学を教えた宣教師のシドニー・ギューリックが、
 日本に人形を贈って関係を改善しようと計画しました。

 米国から打診を受けた外務省と文部省は、相手が民間なのでこちらも民間で受けることとし
 渋沢栄一に協力を仰ぎ、栄一は「日米国際児童親善会」を立ち上げました。
 事務局の担当者は外務省と文部省の職員が担い半官半民でした。

 米国で集められた12,739体が、翌年の昭和2(1927)年春、12隻の船に分かれ横浜と神戸に到着しました。
 3月3日の雛祭りに、明治神宮外苑の日本青年館で、歓迎式が盛大に行われました。
 そして、青い目の人形は、各地の尋常小学校などに贈られました。

 日本側も答礼で「ミス東京」「ミス横浜」など日本各地の名が付けられた大型の市松人形58体を米国に贈り、
 民間での交流が広がりました。

 戦争が始まると米国製の人形は敵視され、大半が焼かれたり捨てられたりしました。
 現在、青い目の人形は340体、日本人形は47体が確認されています(吉徳のHPを参照した)。

 東京浅草橋の「吉徳」は、吉徳10世・山田徳兵衛が答礼人形の企画・製作を指揮しました。
 答礼人形の里帰りに際して11世・山田徳兵衞がその大多数の修復監修を務めました。
 現在は12世・山田徳兵衞が答礼人形の修復に参画しています。これまで41体の修復を行ってきたそうです。

  
 

<グランド・オールドマン>

 グランド・オールドマンとは、国際協調を願う世界中の人たちが
 渋沢栄一のことを「民間外交」の傑出した実践者として認め讃えた呼称です。

  
 

吉徳これくしょん展示室 台東区浅草橋1-9-14

 吉徳のホームページ中、日米親善人形に、吉徳とのかかわりが詳しく記載されています。
 「青い目の人形」は現在340体の存在が確認されており、
 そのうちの一体「アニー」が吉徳資料室に保存されています(公開なし)。

 日米親善人形に関する資料などの展示があるのかなと吉徳これくしょん展示室を観覧しましたが、
 展示はありませんでした。親善人形の企画展でも行うと良いのになと思いました。
 収穫はあって、以下2冊の見本品に日米親善人形について記載されていました。
 『語りかける人形たち』11世・山田徳兵衞著 東京堂出版刊(2001)
 『人形歳時記』吉徳資料室長・小林すみ江著 婦女界出版社刊(1996)
 

<語りかける人形たち>

 日米親善人形について、かなり詳細に記載されています。
 青い目の人形を抱く渋沢栄一の写真をよく見るところですが、
 アサヒグラフ「人形大使歓迎号」の表紙に使われた写真だったのですね。

    

   
 

<展示室>

 [利用案内]
  所 在 地  株式会社吉徳 浅草橋本店4階(台東区浅草橋1-9-14)
  観覧時間  10:00〜17:00
  休  日  本店休業日、展示替期間
  観 覧 料  無料

 浅草橋本店の4階に「吉徳これくしょん展示室」があります。
 所蔵している多数の資料が台東区有形民俗文化財として搭載されています。
 生人形「藤娘」がお出迎え。

     

    

    

     


渋沢栄一翁像(胸像)  深谷市仲町11-1深谷市役所本庁舎ホール

 2001(平成13)年12月建立。
 以前は玄関前にあったようですが、現在は庁舎内にあります。
 平日訪問の機会がないので、画像は、東商渋沢ミュージアムのパネル展示からです。

   


道の駅おかべ 深谷市岡688-1

 渋沢栄一が盛りだくさんです。

    

    
 

<情報センター>

 渋沢栄一のパネル展示があります。

    

    


赤城乳業本社 深谷市西島町2-12-1

 深谷駅近くに赤城乳業本社があります。本社は深谷市にあったのですね。
  
   


七ツ梅 深谷市深谷町9-12

 七ツ梅酒造跡に、レトロな「七ツ梅」があり複数の店舗が営業しています。
 深谷シネマもそのひとつ。

    

   


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