○ 大松原
○ ペルリ提督の像
○ 遣米使節記念碑
○ 番所跡
○ お台場の石垣石
(説明板)
「芝公園は、上野、浅草、深川、飛鳥山と共に、明治6年(1873)に東京で最初の公園として指定されました。」
(一部抜粋)
<芝公園>
(説明板)
「芝公園のうち、増上寺三解脱門(三門)前に位置するあたりは古くから大松原と呼ばれて
北中南の三区よりなり老松枝を交え松籟俗塵を払い、自然美豊かな区域でした。
(中略)
松はその後の災変によって焼失、あるいは枯死し主たる景観はくすのきに変わりました。
芝公園サービスセンター」
<モニュメント>
東京都は園地改修にあたりペルリ提督像と、遣米使節団記念碑を配置し直し、
新たにモニュメントを設置しています。
このモニュメントは月見をイメージと港区役所近くの説明板に記載があります。
解説板に掲載されている絵図です。
<増上寺>(東都名所 広重画帖)
<芝神明増上寺全図>(東都名所 一流斎広重)
「芝葉増上寺日中」(小林清親)
左手に「大松原」が描かれています。
「芝増上寺」(井上安治)
井上安治も「大松原」を描いています。
昭和28(1953)年7月20日、東京都が日本開国百年記念祭挙行のとき、
東京都民からロードアイランド州ニューポート市に、石灯籠1基を贈った返礼としてこの像を受けました。
「COMMODORE MATTHEW C. PERRY 1794-1858」
「Felix W de Weldon 1953 Nweport RI USA」
(説明プレート)
「誌
嘉永六年七月(1853年)および安政元年二月(1854年)に日本の開港のため米国代表として江戸湾を訪れたペルリ提督の出生地でありまた当時日本訪問の出港地である米国ロードアイランド州ニューポート市から親善のしるしに東京都に贈られたものである
米国人フェリックス・ド・ウエルドン作 東京都」
安政5(1858)年6月にアメリカ全権ハリスとの間に調印された日米修好通商条約の批准書交換使節が、
安政7年1月18日(1860年2月9日)、芝公園に程近い竹芝からポーハタン号に乗船、横浜に4日停泊した後、
旧暦1月22日(2月13日)、サンフランシスコに向け出港しました。
港区役所近辺の番所跡です。通路がカギ形となっています。
月見をイメージしたモニュメントが、ここと増上寺前にあります。
(説明板)
「松原の復元
芝公園のうち、増上寺三門前に位置するあたりは古くから松原
と呼ばれています。
それは、寛永十七年(一六四〇年)増上寺二十世大僧正南誉上人のとき、幕命によって三門の左右に松を植付けたことに始まるとも、青山家藩士の植樹で百年松原と称したことによるとも伝えられています。
松はその後の災変によって焼失、あるいは枯死し主たる景観はくすのきに変りました。
ここは江戸時代の番所跡と伝えられ、土るいにはさまれた通路がカギ形をしています。
都は園地改修にあたり原形を残すとともに往来の松原を偲ぶものとして黒松を植え、月見をイメージしたモニュメントを設置しました。
昭和六十二年二月 東京都」
図書館南の植栽にお台場の石垣石があります。
(説明板)
「お台場の石垣石
お台場(内海御台場)は、嘉永六年(一八五三)黒船来航により、幕府が急きょ築造した海上砲台です。未完を含め七基の台場のうち、国の史跡指定を受けた、第三と第六の二基を残して、その他は解体、埋め立てられました。
この石は、その時、第五台場(現・港南五丁目)から移されたといわれています。
伊豆周辺から運ばれた安山岩で側面には、約一○○年の間、波に洗われた跡をとどめています。
港区教育委員会 」