Discover 江戸旧蹟を歩く

 芝公園 徳川将軍家霊廟遺構

  ○ 台徳院霊廟惣門
  ○ 有章院霊廟二天門
  ○ 御成門
  ○ 文昭院殿宝塔前の中門
  ○ 清揚院殿霊廟水盤舎
  ○ 唐金燈籠(文昭院殿)


旧台徳院霊廟惣門  港区芝公園4-8-2

 台徳院霊廟惣門、勅額門、御成門、丁字門が空襲から焼け残りましたが、
 他の3門は狭山山不動寺に移築保存されています。
 台徳院霊廟惣門は、国の重要文化財に指定されています。

 仁王像について説明板があります。

(説明板)
「港区指定有形文化財
  彫刻 木造仁王像 二躯
 重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置されている寄木造り、砥粉地彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐の上に立っています。
 平成十六から十七年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(一七八九)、弘化三年(一八四七)の二度にわたり修理が行われていることがわかりました。さらに安政二年(一八五五)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和二十三年(一九四八)、同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和三十三年ごろまでにはこの惣門に安置されたと考えられます。
 本像は十八世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。
  像 高  阿形二四三・五センチメートル
       吽形二四七・〇センチメートル
  平成十八年十月二十四日  港区教育委員会」
    

     
 

<惣門跡>

 惣門は現在より45m西側にありました。惣門跡の標柱が建っています。

    
 

<水路跡>

 惣門跡の近くには水路跡の標柱と、水路の遺構が残っています。

   
 

<焼失前の台徳院霊廟>

  
 

<ザ・プリンスタワー東京>

 徳川家南霊廟だった場所には、ザ・プリンスタワー東京が建っています。

   


有章院霊廟二天門  港区芝公園3-3東京プリンスホテル

 有章院霊廟二天門です。広目天と多聞天が安置されています。
 もとは文昭院の二天門の持国天、増長天とあわせて四天王として祀られていたものです。
 国の重要文化財に指定されています。

     

     

(説明板)
「有章院(徳川家継)霊廟二天門
  芝公園3-3 東京プリンスホテル
 現在の東京プリンスホテル敷地には、戦前、六代将軍家宜の文昭院霊廟と並んで、七代将軍家継の有章院霊廟がありました。プリンスホテル正面の二天門は有章院霊廟の惣門です。霊廟は八代将軍吉宗が享保2年(1717)に建立しました。その結構は日光に劣らぬと伝わる程でしたが、昭和20年(1945)に東京大空襲で焼失しました。
この焼け残った二天門は銅板葺、切妻造りの八脚門で、左右に仏法守護の役目を持つ広目天、多聞天の二点が祀られています。焼けた文昭院霊廟の門に持国天、増長天が置かれ、合わせて四天王としてまつられていました。
  重要文化財・建造物(昭和5・5・23)」

  
 

「千代田之御表 芝増上寺初御成ノ図」(楊洲周延)

 七代将軍徳川家継・有章院の霊廟を、初めて訪れる八代将軍吉宗を描いています。
 有章院霊廟は、人気の東京名所でしたが戦災により焼失しています。

  
 

「東京名所 芝御霊屋」(楊洲周延)

 有章院霊廟が東京名所として描かれています。

  
 

<御成門内之図>

 「御成門内之図」(文政年間刊行 山縁山誌所載ニ依ル)のプレートが二天門右手にあります。
 
    
 

<東京プリンスホテル>

 徳川家北霊廟だった場所には、東京プリンスホテルが建っています。

  


御成門 港区芝公園3-3-1東京プリンスホテル

(説明板)
「御成門
 増上寺(徳川家菩提寺)の裏門としてつくられたが、将軍が参詣する際にもっぱら用いられたので、「御成門」と呼ばれるようになった。
 初め「御成門」は、現在の御成門交差点にあったが、明治二十五年の東京市区改正計画で、内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この位置に移築された。
 その後、増上寺三門や旧庫裡門・徳川家墓地の惣門・二天門とともに、関東大震災や太平洋戦争の戦火から難をのがれて今日に及んでいる。
  昭和四十八年三月  東京都港区教育委員会」

     


文昭院殿宝塔前の中門/鋳抜門(港区登録有形文化財)

 徳川将軍家墓所門は、文昭院殿宝塔前の中門でした。
 門左に下り龍、右に昇り龍。

     

    

      

 入口と出口と両面に龍が刻まれているのですね。
 鋳抜門の裏に描かれている、左下り龍、右昇り龍です。
 こちらの面のほうが保存状態が良いです。

    


清揚院殿霊廟水盤舎 増上寺境内

 清揚院殿霊廟にあった水盤舎が増上寺の境内に移築されて残っています。
 水盤舎以外は焼失しています。

     

(標柱説明)
「元は清揚院殿(三代将軍徳川家光の三男・六代将軍徳川家宣の父、甲府宰相綱重)の御霊屋にあった建物です。綱重は、延宝六年(一六七八)に逝去し、初め小石川伝通院に埋葬され、家宣の代に増上寺に改葬されました。御霊屋は増上寺本堂裏手に営まれていましたが、昭和二十年(一九四五)の東京大空襲により他の御霊屋の建物とともにそのほとんどが焼失しました。この水盤舎は綱重の御霊屋建築の内、現存する唯一の建物であるとともに、徳川家霊廟の建造物として現存する数少ない遺構として貴重なものです。
  平成十三年二月十四日 港区文化財総合目録登録」

    


唐金燈籠4基

 文昭院殿の唐金燈籠4基が、2019年に狭山山不動寺から増上寺に移転してきています。

<大殿本殿左右>

    
 

<増上寺宝物展示室入口左右>

    

   


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