○ 宝珠院/弁天池
増上寺の伽藍群のひとつとして開山。
大正4年10月に現在地へ移転改築しているので、江戸名所図会に描かれている場所とは異なります。
2018年に建替えられ、真新しい寺院となっています。
「江戸名所図会 増上寺山内芙蓉洲弁天社」
江戸名所図会に描かれています。
<閻魔堂/閻魔大王座像> 港区文化財
「江戸東京四十四閻魔」の第二番です。江戸時代「芝の閻魔さま」と呼ばれていました。
閻魔大王の左右には、檀拏幢と呼ばれる赤い首の太山府君、白い首の暗闇天女の杖があります。
亡者の裁判の際、前者は亡者の悪行を見通し、後者は善行を見通すと言われます。
脇侍は司録・司命といい、閻魔大王による裁判の記録、判決の言い渡しを司ります。
<弁天堂/開運出世大弁才天>
<芭蕉句碑/古調庵萬嶽句碑>
石碑には、芭蕉と古調庵萬嶽の2句が刻まれています。
「古池や蛙とひこむ水の音
祖翁乃高吟也
あれほとの雲を起すや雨蛙
古調庵万嶽
八十五歳 」
文化10(1813)年4月建立。
<三界萬霊ほか>
<百度石>
<子育水子地蔵尊>
<三竦み(さんすくみ)>
「境内には、石像のヘビ、カエル、ナメクジが点在しています
これは「ヘビがカエルを食べる、カエルがナメクジを食べる、ナメクジがヘビを溶かす」
という習性によって、三者ともに動けなくなる「三竦み」を意味しています
物事が動かなくなる、転じて平和を願う私どもお寺の気持ちを表現しています」
ヘビとカエルは石像ですが、ナメクジは石柱の線刻なので、わかりずらいですかね。
<閻魔耳>
閻魔堂外壁に閻魔耳があります。
「閻魔耳(えんまみみ)
悪い行いを閻魔様に懺悔できます
閻魔様に打ち明けてお許しを乞いましょう」
(説明板)
「紅蓮白蓮の弁天池 中島の弁天社
明治6年(1873)の太政官布達第16号により芝公園になる以前より、増上寺の山内丘陵の西後方、境内裏鬼門にあたる位置に弁天池という広大な蓮池があり、夏には江蓮白蓮が混ざり合う、清香馥郁として奥深く静かな景勝地でした。
池中の中島には増上寺三十世霊玄上人の時に弁財天が勧進され、弁天堂ができました。弁財天は一尺余りの腰かけ像で、9世紀に智証大師によって作られたものが源頼朝、北条家に篤く信仰され、その後徳川家康が増上寺に移したと伝えられています。
また、島には稲荷妙見菩薩も並んで祀られ、現譽公記に「丸山の麓に池あり、二月の頃は近郷の百姓もみを浸して番をなす故に、池の中に少しの島を築き、稲荷の祠をかまへり」とあります。明治維新までは両方の社がありましたが、現在では隣の宝珠院内に祀られ、現在、弁財天は港七福神の一つとして親しまれています。
弁天池の名は、古くは 「さよ」 という女が身を投じた故に呼ばれた「さよが池」、また「ゆりが淵」などとも言ったと伝えられています。また、
池中に架かる石橋を接蓮橋、又は美蓉橋といい、これも霊玄上人の命名したものです。
芝公園サービスセンター」