Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 芝公園

  ○ 宝珠院/弁天池


○三縁山 宝珠院  港区芝公園4-8-55

 増上寺の伽藍群のひとつとして開山。
 大正4年10月に現在地へ移転改築しているので、江戸名所図会に描かれている場所とは異なります。
 2018年に建替えられ、真新しい寺院となっています。

    

    

   

「江戸名所図会 増上寺山内芙蓉洲弁天社」

 江戸名所図会に描かれています。

  

<閻魔堂/閻魔大王座像> 港区文化財

 「江戸東京四十四閻魔」の第二番です。江戸時代「芝の閻魔さま」と呼ばれていました。
 閻魔大王の左右には、檀拏幢と呼ばれる赤い首の太山府君、白い首の暗闇天女の杖があります。
 亡者の裁判の際、前者は亡者の悪行を見通し、後者は善行を見通すと言われます。
 脇侍は司録・司命といい、閻魔大王による裁判の記録、判決の言い渡しを司ります。

     

<弁天堂/開運出世大弁才天>

    

<芭蕉句碑/古調庵萬嶽句碑>

 石碑には、芭蕉と古調庵萬嶽の2句が刻まれています。

 「古池や蛙とひこむ水の音
     祖翁乃高吟也
  あれほとの雲を起すや雨蛙
     古調庵万嶽
     八十五歳  」

 文化10(1813)年4月建立。

    

<三界萬霊ほか>

   

<百度石>

  

<子育水子地蔵尊>

  

<三竦み(さんすくみ)>

 「境内には、石像のヘビ、カエル、ナメクジが点在しています
  これは「ヘビがカエルを食べる、カエルがナメクジを食べる、ナメクジがヘビを溶かす」
  という習性によって、三者ともに動けなくなる「三竦み」を意味しています
  物事が動かなくなる、転じて平和を願う私どもお寺の気持ちを表現しています」

   

 ヘビとカエルは石像ですが、ナメクジは石柱の線刻なので、わかりずらいですかね。

     

    

<閻魔耳>

 閻魔堂外壁に閻魔耳があります。
 「閻魔耳(えんまみみ)
  悪い行いを閻魔様に懺悔できます
  閻魔様に打ち明けてお許しを乞いましょう」

   


○弁天池

(説明板)
 「紅蓮白蓮の弁天池 中島の弁天社
 明治6年(1873)の太政官布達第16号により芝公園になる以前より、増上寺の山内丘陵の西後方、境内裏鬼門にあたる位置に弁天池という広大な蓮池があり、夏には江蓮白蓮が混ざり合う、清香馥郁として奥深く静かな景勝地でした。
 池中の中島には増上寺三十世霊玄上人の時に弁財天が勧進され、弁天堂ができました。弁財天は一尺余りの腰かけ像で、9世紀に智証大師によって作られたものが源頼朝、北条家に篤く信仰され、その後徳川家康が増上寺に移したと伝えられています。
 また、島には稲荷妙見菩薩も並んで祀られ、現譽公記に「丸山の麓に池あり、二月の頃は近郷の百姓もみを浸して番をなす故に、池の中に少しの島を築き、稲荷の祠をかまへり」とあります。明治維新までは両方の社がありましたが、現在では隣の宝珠院内に祀られ、現在、弁財天は港七福神の一つとして親しまれています。
 弁天池の名は、古くは 「さよ」 という女が身を投じた故に呼ばれた「さよが池」、また「ゆりが淵」などとも言ったと伝えられています。また、 池中に架かる石橋を接蓮橋、又は美蓉橋といい、これも霊玄上人の命名したものです。
  芝公園サービスセンター」 

  

    


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