○ 関口フランスパン
○ 関口水神
○ カトリック関口教会/東京カテドラル聖マリア大聖堂
○ 正八幡神社
○ 幸神社
○ 旧町名案内「旧関口台町」
○ 講談社 野間記念館
関口フランスパンは、明治21(1888)年4月小石川関口教会付属聖母仏語学校製パン部として創業しました。
フランスパンを日本に広めた老舗です。
新目白坂の下、ニチバンが入っている目白坂STビルの1階にあります。
新目白坂をあがっていくと、右手に関口教会があります。
鳥もも唐揚げ(個売)や、ハッシュポテトなども売っているのは少々驚きました。
モーニングのトーストセットのトーストは外はカリカリ、中はふんわりで美味しい。
葡萄パンはぶどうが多くて、パン生地はふんわりバター風味で美味しい。
カレーパンはスパイシー。
メロンパンは中のクリームが緑色。
クリームパンは、バニラビーンズが入っていてこれまた美味しい。
店舗横のスロープの先の駐車場に関口水神があります。
お店で教えていただいた暗証番号を入力して開錠します。
(説明板)
「関口水神由来
天正十八年(一五九〇年)徳川家康は、江戸入りの直後、江戸がいつか深刻な水不足になると考え、大久主水に上水道の造営を命じました。
主水は、井の頭池から発する流れに善福寺池、妙正寺池の流れを合わせ、小石川の関口に堰を築き(関口の大洗堰)水位を上げ、上水を神田より
市中に給水しました。
これが日本初の都市水道「神田上水」です。
関口という地名は、神田上水の堰を設けたので、その名が起こったと言われています。
関口水神は、創建の年代は明らかではありませんが、「江戸妙子」には「上水明けてより関口水門の守護神なり。」とあります。
伝えによれば、水神様が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの池に祀らば堰の守護神となり、村民を始め、江戸町ことごとく安泰なり。」と告げたので、ここに水神様を祭ったと言われています。
又、この辺りは、田園地帯で清らかな神田上水が流れ、江戸時代は風光明媚な江戸名所と知られていました。
中国の風水では、うねった坂道が下がり、くぼみになった所に水がある場所は龍が住む神聖な場所と言われています。そこからも、この目白台のふもとに水神様を祭ったのだと思われます。
元々水神様は芭蕉庵の近くにあるとされていましたが、ここが本来の場所であるという霊示により「関口水神」を発現し、お祭りしました。
関口水神崇敬会
水は方円の如し
浅野方一」
<御神水>
かすかに硫黄臭がします。横の水道水より明らかに温かいです。
湧水ではなく、地下から汲み上げた冷鉱泉じゃないかな、これ。
かすかな硫黄臭はあるものの、無味で飲みやすいです。
建築家丹下健三の設計で有名な「東京カテドラル関口教会」聖マリア大聖堂は、
建物全体が一大十字架を象る圧倒的スケールの建築です。
<ジョセフィーヌの鐘>
太平洋戦争中の金属供出命令は、明治憲法記念会の申し入れで免れたと言われています。
明治政府法律顧問ボアソナードの銘の入った鐘です。
<ルルドの洞窟>
実物の洞窟を忠実に再現し建てたものです。
目白坂の中腹にあります。
水神社に並び鎮座していた椿山八幡宮を下の宮と呼ぶのに対し、
当社は上の宮とも、また関口八幡宮とも称せられたといいいます。
手水舎は嘉永7年8月と刻まれ江戸時代の奉納です。
「江戸名所図会 目白坂 関口八幡宮」
江戸名所図会に、描かれています。
目白坂を上がったところにある小さな幸神社です。
小さい神社ですが、江戸名所図会に「道山幸神社」として描かれています。
(説明板)
「幸神社 関口2-6-1
祭神は、猿田彦命・稲荷大神である。道山幸神社または駒塚神社とも称した。
創建年代は不詳。江戸時代、当社の祭神の猿田彦命の神像は、その昔当地の崖下が入江であった頃、海中より出現した神像で、神体全体に蠣殻が付着していたと伝わる。かつては神木の榎が植えられた庚申供養塚があり、そこに猿田彦命を安置したという。
幸神社が面する道路は、かつて「清土道」とよばれ、江戸・東京から練馬などの西北近郊の村々とを結ぶ主要道の一つであった。道の神である猿田彦命を祀った当社は、清土道における江戸・東京の出入り口に位置し、道行く人びとの安全を祈った祠であった。
文京区教育委員会 平成27年8月」
<以波東之桜>
燈籠の台座にとってつけたように据えられている石碑。
裏は漢文の説明。
「江戸名所図会 道山幸神社」
江戸名所図会に描かれています。
神社のすぐ横には、旧町名案内があります。
「旧町名案内
旧 関口台町 (昭和41年までの町名)
もと、関口村の内で畑地であった。天和2年(1682)町屋を開き、享保5年(1720)から町奉行支配となった。
町名は関口村の高台(目白台地)にあったので、関口台町と称えたといわれる。関口の名称は、むかしこの辺りに奥州街道の関所があったからとも、また神田上水の分水のための大洗堰があったからともいわれる。
明治5年、旧細川越中守、黒田豊前守(現・椿山荘)、柳生播磨守ほかの武家屋敷地および寺地を併せた。
目白台下に、松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵がある。西隣の胸突坂下には、神田上水の守護神であった水神社がある。
芭蕉庵や水神社の一帯を椿山といった。鎌倉合戦のころこの辺りに伏兵を入れたとあり、そのころから椿が多かった。」
目白坂を上がって、椿山荘の先に、野間記念館。
2019年7月16日から、老朽化・建て替えのため休館中。