Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 ○ 日本堤と隅田堤
 ○ 土手通り


日本堤と隅田(墨田)堤

<遠大なV字ダムー江戸を守る>

 荒川(隅田川)の洪水から江戸を守るため、浅草付近の右岸側に日本堤、左岸側に隅田(墨田)堤が築造されました。

 国土交通省のサイトの地図が日本堤の役割をわかりやすく示しているので引用します。
 https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00026.html

   

 荒川左岸の熊谷堤・隅田堤と、右岸の日本堤で、V字ダムとして水をせき止め、
 上流は広域にわたり水があふれ遊水池となり、江戸を洪水から守ります。

 荒川左岸には、徳川家康公江戸入府以前に熊谷から向島まで堤防が築かれていたとされます。
 荒川右岸の下流に日本堤を築き、上流は、箕輪が武蔵野台地の先端であり台地を自然の堤防としました。
 日本堤の南端には待乳山があり、ここから浅草寺にかけては高台でした。

 三ノ輪橋より下流は自然の河川を人工的に直線に改修した水路です。
 その山谷堀の右岸に、1620(元和6)年、二代将軍秀忠が八十余州の大名に命じた「天下普請」で、
 待乳山聖天町から箕輪まで延長860m、高さ3m、土手上道幅7.2mの堤防が60余日で築かれました。
 

<荒川放水路の完成と日本堤取り壊し>

 しかし、遊水池に工場や住宅が増えてくると、ここを水浸しにできる状況ではなくなってきます。
 荒川放水路が1930(昭和5)年に完成、役割を終える日本堤は1927(昭和2)年に取り崩され、
 土手通りが建設されました。
 

<土手通り(日本堤跡)>

 関東大震災後「帝都復興院」総裁に就任した後藤新平のもと、新道路計画が立案されます。
 土手通りは、この復興道路の一環として開通しています。


土手通りの店々と交差点】

 ドテのクスリヤを初め、土手の文字を冠する店名がみられます。
 

○ドテのクスリヤ森田薬局 台東区千束4-38-10

   
 

○ますみ寿司 台東区千束4-38-12

   
 

○堤や(どてや) 台東区千束4-37-12

 2012年オープンの新しい居酒屋。

  
 

○吉原もん 台東区千束4-36-1 2014/7/11open ※閉店

 営業夜のみの蕎麦やです。
 ※閉店し2003年6月からビル解体です。

   
 

○吉原土手 馬肉の千葉屋 台東区日本堤1-9-4

 吉原土手名物馬肉の千葉屋です。

   
 

○とんかつ 美乃屋 台東区日本堤1-9-3

  
 

○桜なべ中江 台東区日本堤1-9-2

 創業明治三十八年。

  
 

○土手の伊勢屋 台東区日本堤1-9-2

 創業明治22年。

   
 

○大むらそば店 台東区日本堤1-8-4

 ※閉店しました。

  
 

○土手あつみや 台東区日本堤1-8-4

 さくら鍋の専門店。

  
 

○三ツ和モータース 台東区日本堤1-10-3

 土手裏にも古い家屋があります。
 日産自動車販売協力店会の会員之證が掲げられています。
 今となっては、自動車販売店には見えない販売店です。

   
 

○鈴木銘木店(銘木の店鈴木) 台東区東浅草2-7-6

  
 

○土手大嶋屋 台東区東浅草1-14-7

 土手・大嶋屋は、江戸文字揮毫の提灯の老舗(享保年間創業)です。
 地方橋交差点にあります。

    
 

○土手加藤材木店 台東区東浅草1-13-6

 創業は明治26年で古くはないです。

  


【交差点】

○三ノ輪2丁目交差点

 明治通りと土手通りの分岐点。

  
 

○日本堤1丁目交差点

 お歯黒どぶの西河岸への入り口。

  
 

○吉原大門交差点

 仲之町通りへの入り口。

   
 

○日本堤消防署横

 花園通りがお歯黒どぶの羅生門河岸への入り口。

  
 

○地方橋交差点

  
 

○紙洗橋交差点

 「ひやかし」の語源となりました。

    


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