Discover 江戸旧蹟を歩く

 墨堤

  ○ 江戸名所図会
  ○ 長命寺桜もち
  ○ 正岡子規
  ○ 三浦乾也
  ○ 言問団子
  ○ 牛嶋神社旧跡
  ○ 石庭の隅田川
  ○ 桜橋デッキスクエア
  ○ 向島 志"満ん草餅 



江戸名所図会等

 <大川橋 吾妻橋とも名づく 隅田川両岸>

  大川橋は隅田川の5つの橋のうち、最後に架けられた橋。
  下流から上流を俯瞰しており、筑波山が描かれています。

  2枚目は長命寺周辺を拡大。

     
 

 <牛御前宮 長命寺 隅田川東岸>

  画像加工で1枚にまとめています。

  「五元集
   是やみな 雨を聞く人 下すすみ  其角」

  長命寺部分には
  「釈迦堂」「奈木」「延寿椎」「本社」「地蔵」「こんせい神」「芭蕉庵」が記されています。

    
 

 <江都名所 隅田川はな盛>(歌川広重筆)

  江戸名所図会とは反対の、上流から下流を見た図です。
  下流に渡しの階段と、奥に大川橋が見えます。
  上流の長命寺辺りの桜が大きく描かれています。

    
 

 <江戸高名会亭尽「向島 大七」>(広重)

  鯉料理は、向島の葛西太郎、大黒屋孫四郎などの料理茶屋が有名でした。
  大七(大国屋茶四郎)は、鯉料理で有名な店で、浴場がありました。風呂上がりの人が描かれています。

    
 

 <弘福禅寺/三囲稲荷社>

     
 

 <江戸高名会亭尽 三囲之景(広重)>

    
 

 <銀世界東十二景 隅田川両川岸一目の月(広重)

  三囲神社の鳥居が描かれています。

    



長命寺桜もち山本や  墨田区向島5-1-14 03-3622-3266 9:00-18:00頃 月曜定休

 「長命寺桜もち山本や」は、享保2年(1717)年創業の老舗です。
 初代新六は、銚子から江戸に出てきて長命寺の門番となり、享保2年、将軍吉宗が隅田堤に桜を植え、
 遊客が増えたことで、桜の葉で餅を包むことを思いつきました。

 曲亭馬琴「兎園小説」には、文政7(1824)年には77万5千枚の桜葉を仕入れたとあります。
 桜餅1つに葉を2枚使っていたので、年間38万7,500個の桜もちが売れたことになります。
 

 <新版御府内流行名物案内双六>(一英斎芳艶 海老屋林之助 弘化4(1847))

  山谷の八百善、王子の海老屋・扇屋、向島の桜もちなど、有名料亭や名物が並ぶ双六です。
  長命寺桜もちも収録されています。

     
 

 <江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅>(豊国 平のや)

  浮世絵にも描かれているさくら餅。桜もちをたくさん買いましたね。

     
 

 <江戸名所百人美女 長命寺>(歌川国貞)

  「長命寺桜もち山本や」の看板娘「おとよ」が描かれています。

     
 

 <隅田堤ヨリ霧中真崎遠景図>
 
  店内に掲示されています。

    
 

 <正岡子規>

  葉にまきて出すまこゝろや桜餅(明治21)
  薄き葉の中に朱味や桜餅(明治21)
  花の雲言問団子桜餅(明治29)
  水無月の余花を尋ねて桜餅(明治31)
  葉かくれに小さし夏の桜餅(明治31)
  桜餅草餅春も半かな(明治34)
  向じま花さくころに来る人のひまなく物を思ひける哉
  花の香を若葉にこめてかぐわしき桜の餅家つとにせよ
  から山の風すさふなり古さとの隅田の櫻今か散るらん
 

 <高浜虚子>

  桜餅食ふて抜けけり長命寺
 

 <久保田万太郎> 桜餅で30句ぐらいあります

  舟つけて買いにあがるや桜餅
 

 <川柳>

  屋根舟へ岡から投げる桜餅
  桜餅みんな禿にただとられ
  かぎつけて女房は食わぬ桜餅

     

     

 店内で食べる場合は、お茶がついて桜餅1個で350円(購入は1個220円)。
 杉の重箱風の箱に「長命寺さくら餅」の焼き印が押してあり、
 3枚の桜の葉に包まれた桜餅が載っています。
 昔は今より小さかったので、桜の葉は2枚で包み、箱には2個並んでいたようです。
 皮を向いて食べるのが本来らしいですが、一緒に食べてもおいしい。私は2枚残し、1枚でくるんで食べました。
 甘さ控えめのあんこで、しつこくなくさっぱりしています。

     

    

    
 

 <桜もちの商標>

 「江戸の今昔」(歌川広重他 昭和7年)に掲載の、当時の「桜もちの商標」です。

  



正岡子規仮寓の地  墨田区向島5-1

 正岡子規は長命寺桜もち「山本や」の2階に3カ月ほど住んでいました。

(説明板)
「10 正岡子規仮寓の地
 向じま 花さくころに 来る人の ひまなく物を 思ひける哉
 (「無何有洲七草集」女郎花の巻『寄寓隅田川名所恋』)
 近代日本を代表する俳人の正岡子規は、向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。隅田川と墨堤の自然がよほど気に入ったのか、大学予備門の学生だった子規は長命寺桜もち「山本や」の2階を3ヶ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次の句を詠んでいる。

  花の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ

 明治28年、日本新聞社の記者として日清戦争に従軍する。その折も

  から山の 風すさふなり 古さとの 隅田の櫻 今か散るらん

と墨堤の桜を偲んだ和歌を詠んでいる。
 子規という雅号だが、ホトトギスの意、その鳴声は悲壮で、「鳴いて血を吐くホトトギスなどといわれ、喀血したわが身をホトトギスに喩えている。」

  



三浦乾也旧居・窯跡 墨田区向島5-1-14

 長命寺さくら餅の横、長命寺の裏門前に説明板があります。

 「明治時代に言問団子で使用されていた皿は、乾也が焼いたもの」です。

   



言問団子  墨田区向島5-5-22 03-3622-0081

 言問団子のお召し上がりは720円。まだ食べていません。

(説明板)
「11 言問団子と郡司大尉
 江戸後期、向島で植木屋を営んでいた外山佐吉は、文人墨客に手製の団子を振舞う「植佐」という団子屋を開くと、花見客や渡船客の間でも人気となった。
 明治元年、長命寺に逗留していた歌人の花城翁より、在原業平が詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都島 わが想ふ人はありやなしやと」に因んだ命名の勧めを受けた佐吉は、「言問団子」と名づけ、業平神社を建て、都鳥が飛び交うこの辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。明治11年、佐吉が始めた灯籠流しによりその名は広く知られていった。後に「言問」は、言問橋や言問通りなどの名称で定着したが、ルーツは「言問団子」である。
 また、この裏手にある桟橋からは、明治26年3月20日千島開拓に向かう郡司大尉率いる5艘の端艇が出発している。隅田川両岸はこれを憂国の壮挙と称える群衆で埋まり、花火が打ち上げられ、歓呼の声と楽隊の演奏が響く中での船出であった。この時、大尉の弟、幸田露伴はこれに同乗して横須賀まで見送っている。」

     

     



牛嶋神社旧跡 墨田区向島5-1

 弘福寺と長命寺の土手側の脇に建っています。
 牛嶋神社はかつてここにありましたが、関東大震災後の隅田公園の整備で遷座しています。

    



石庭の隅田川 墨田区向島5-1

 埋め込まれている石に、力石があります。

   

    



桜橋デッキスクエア 墨田区向島5-1

 <カメとカエルの像>

  由来は全く不明。

    
 

 <壁画>

     



向島志"満ん草餅  墨田区堤通1-5-9 03-3611-6831 9:00-17:00
 
 墨堤通りの向島の人気お菓子「桜餅」「言問団子」「志"満ん草餅」。
 隅田川七福神めぐりのチラシに掲載されている印も味があります。

 「志"満ん草餅」を購入。並んでいても、店員さん手際良いのでスムーズ。
 あんいり、あんなしともに1個160円です。

 思ったより小ぶりの草餅です。
 よもぎが濃厚で香は強く美味しい。見た目もつやつや美しい。
 人気ある草餅に納得です。

     

     

    
 

 あん入りを購入。さくら餅も陳列していました。

   


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