○ 美原通り(東海道)
○ するがや通り(羽田道)
大正7(1918)年の第一京浜国道建設工事の際に、旧東海道が拡張されましたが、
美原通りは商店街だったので、ここを避けたため、旧東海道のおもかげを残しています。
「大森本町ミハラ通り北商店会」「大森ミハラ通り仲町商店会」「ミハラ南商店街」
「するがや通り商店街」の4つの商店街があります。
(説明板)
「旧東海道(美原通り)
東海道は、江戸時代初期に幕府が整備した、江戸日本橋を出発点とする五街道の一つで、江戸と京都を結ぶ、最も重要な交通路であった。参勤交代の大名行列のほか、
一般の旅人にも大いに利用された。
昭和二年(一九二七)、東海道は拡幅改修され、第一京浜国道が完成した。そのため往時の幅員を比較的よく残しているのは、この美原通りと六郷地区の一部だけとなった。
旧東海道は、かつて三原通りと言われた。三原とは、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になった。
歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠「駿河屋」のあった「するがや通り」は内川橋の際から分かれる。
昭和五十一年二月二十五日指定 大田区教育委員会」
<江戸情緒>
石椅子には東海道の江戸の風景が描かれ、店のシャッターには浮世絵が描かれています。
画像の浮世絵シャッターは川良海苔店です。
「東海道から内川橋際(大森東二丁目2番先)で分かれ、羽田方面に至る道です。
分岐点付近に、歌舞伎にも出てくる「駿河屋するがや」という旅籠はたごがあったことから
「するがや通り」とも呼ばれます。
内川橋から大鳥居交差点(東糀谷三丁目3番先)まで旧道が残っています。
産業道路ができるまで、羽田でとれた魚などを運ぶ生活道路でした。」(大田区HPより)