○ 長命寺
徳川将軍正室2名、側室2名、夭逝子女の墓石があり、
奉献石燈籠が15基と多数あります。
<薬師堂>
左「惇信院殿 尊前」寶暦十一(1761)年六月十二日の奉献。
九代将軍徳川家重公の霊前奉献石燈籠です。
右「文昭院殿 尊前」正徳二(1712)年十月十四日の奉献。
六代将軍徳川家宣公の霊前奉献石燈籠です。
<薬師堂裏>
「有章院殿 尊前」正徳六(1716)年四月晦日の奉献。
七代将軍徳川家継公の霊前奉献石燈籠です。
石燈籠は笠の一部が欠けています。
<本堂前石燈籠2基>
(左)「有徳院殿 尊前」「奉獻石燈籠 兩基 東叡山」寛延四(1751)年六月二十日の奉献。
八代将軍徳川吉宗公の霊前奉献石燈籠です。
(右)「常憲院殿 尊前」「奉獻石燈籠一基 東叡山」寛永六(1629)年正月十日の奉献。
五代将軍徳川綱吉公の霊前奉献石燈籠です。
両基とも「贈 清瀬長命寺 上野寛永寺 昭和四拾年九月弐拾日・・・」と刻まれています。
<八角宝塔2基>
八角宝塔が2基あります。
11代将軍徳川家斉公の正室廣大院(近衛寔子)と、
6代将軍徳川家宣公の正室天英院(近衛熙子)の2基です。
宝塔には文字が刻まれていないのでどちらがどうなのかはわかりません。
<石燈籠10基>
(左)「惇信院殿 尊前」寶暦十一(1761)年六月十二日の奉献。
5基全てが九代将軍徳川家重公の霊前奉献石燈籠です。
(右)「有徳院殿 尊前」寛延四(1751)年六月廿日の奉献。2基あります。
「有章院殿 尊前」正徳六(1716)年四月晦日の奉献。2基あります。
「惇信院殿 尊前」寶暦十一(1761)年六月十二日の奉献です。1基あります。
境内で確認できた石燈籠は、合計15基。
増上寺の石燈籠−惇信院7基、文昭院1基、有章院3基。
寛永寺の石燈籠−常憲院1基、有徳院3基。
<板碑>
墓地の歴代住職墓所に板碑があります。
○徳川将軍側室と子女墓石
墓地に徳川将軍側室と夭折子女の墓石があります。
<瑞春院殿>
瑞春院殿(5代綱吉側室)墓石です。
「瑞春院殿到誉清月凉池大禅定尼尊儀」
元文3年(1738年)6月9日死去。
墓標は宝篋印塔で、本来存在しないはずの笠石が組み合わされています。
移築時に間違ったものと思われます。
長男の徳松君の墓石が練馬区の長命寺にあります。
<契真院殿>
契真院殿(11代家斉側室)墓石です。
「契真院殿登譽宝岸了智大姉」
天保6(1835)年1月11日死去。
<照耀院殿>
左:12代将軍徳川家慶の十一男:照耀院(1843年)
<蓮玉院殿>
左から2基目:12代将軍徳川家慶の十一女:蓮玉院殿(1843年)
<不明>
左から3基目。戒名が剥がれていて不明。
志木街道の向かい側に、かつて清瀬薬師がありました(境内に移転)。
現在は駐車場ですが、徳川家霊廟に奉献された石燈籠等の部品が積まれています。
台徳院殿尊前石燈籠の竿部分が確認できました。