氷川神社の斜め前に「伊興遺跡」(足立区史跡)があり、竪穴式住居のレプリカ、方形周溝墓や入館無料の資料館があります。
平成7(1995)年に国土交通省「手づくり郷土賞」を受賞しています。
<資料館>
<公園展示>
<館内展示>
毛長川のジオラマなどが展示されています。
(説明板)
「氷川神社(淵の宮)
当社は足立区内最古の氷川社で、往古、淵江領の総鎮守であった。江戸期に村々の開発がすすむと共に、各地にも鎮守が祀られ、この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治五年からは伊興村の村社となった。
奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この附近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮の氷川社から分霊を勧請したものと考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が生じたものであろう。
付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・勾玉・管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居趾、井戸跡など生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡といわれる埋蔵文化財包蔵地を形成している。
昭和五十七年十二月足立区登録記念物(史跡)とした。
平成五年三月 東京都足立区教育委員会」
<湯殿山講中奉納の手水舎>
水盤の願主は「湯殿山講中、先達・大乗院、大寿院・・」とあります。
文政2(1819)年の奉納です。
先達は、大乗院、大寿院とありますが、大乗院、大寿院ともに現在は存在していません。
<日露戦役紀念碑> 揮毫 乃木希典陸軍大将
(説明板)
「乃木大将の遺徳を偲びて
乃木大将の記念碑は、日露戦争が大勝利に終わったので、それを記念すべく記念碑を建立しようと全村一丸となり、基金を募り当時としては大金(参百五拾六円八十銭)を集めることができました。
その旨、乃木大将に伝えると、快諾されて自ら揮毫して呉れたとの事です。
記念碑が出来ますと、出征軍人はもとより戦死者の遺族の方々も大喜びで、村中一つになって、提灯行列をしてお祝いしたそうです。但し、終戦後は占領軍の指示により、「解体後、破棄する様に」と言明がありましたが当時の神社総代、役員一同、一丸となり何としても記念碑を残す様考えて、費用が乏しいの一点張りで、拒否をしている内に、朝鮮戦争が始まり進駐軍も撤退したので、その儘不問になりこの立派な記念碑が有り、今日に至っております。
この表示板は、日露戦争終結後百周年に充たり氷川神社総代一同により建立されました。
平成十七年一月吉日 氷川神社総代一同」
※<GHQと忠魂碑>
GHQは、忠魂碑などを単なる慰霊碑ではなく国家主義や軍国主義的な意図を有するものととらえ、
撤去させました。特に小学校など公共施設に建つものは、政教分離の観点から徹底していました。
※<海軍参考館>
海軍参考館という博物館がかつて設けられてもいました。
明治42年、築地(現在:国立がん研究センター)に海軍参考館(Naval
Museum)が新設され、
日露戦争の戦利品等を展示していました。