【中川】
○ 八か村落し親水緑道始点
○ 7基の彫刻
○ 八か村落し親水緑道案内板
【東和】
○ 碇伏越橋
○ 八か村落し親水緑道掲示
○ 碇のオブジェ3基
○ 螺旋滝
○ 壁泉
○ 円性寺
○ Water Power
【東綾瀬】
○ 北三谷通り交差点
○ 防火用水貯留槽
○ 八か村落しファミリー公園→永礼橋→内戸越橋
○ 下河原橋
○ 種田橋
○ 東綾瀬公園日時計→高圦橋→金橋
○ 綾北橋→綾北橋→新開橋
【綾瀬】
○ 東綾瀬公園→八か村落し口
○ 八か村落し口
○ ハト広場
「八か村落し堀」は、江戸時代初期に足立区東部の新田地帯の悪水の排除のため開削されました。
葛西用水に源を発し、六木から大谷田、東和を通り、綾瀬に入り、古隅田川及び綾瀬川へ流れる水路でした。
名前の由来となった「八か村」とは、明治22年の町村制実施まで続いていた八つの村を指し、
水路がこの地域を経由していた事から「八ヶ村落し堀」と呼ばれていました。
※「八か村」
六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、
北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)
「八か村落し堀」を整備改修したのが「八か村落し親水緑道」です。
現在の水流は、環七大谷田交差点の南で葛西用水から導水し、親水路が東綾瀬公園手前まで整備されています。
平成4(2022)年に「手作り郷土賞」を受賞しています。
<八か村落し親水緑道 説明板> 3ヶ所に設置
説明板は、「碇伏越橋」「種田橋」「綾北橋」の3か所に掲示があります。
(説明板)
「八か村落し親水緑道」は、都市の中に残された貴重な自然を大切に保存し区民の方々の憩いの場所とすることを願って、「八か村落堀」を整備改修したものです。
「八か村落し堀」は、江戸時代にこの辺りが新田地帯であった頃、悪水の排除のため、現在の足立区東部を北の六木から大谷田、東和を通り、綾瀬に入る長い水路でした。
この名前の由来となった「八ケ村」とは、明治二十二年の町村制実施まで続いていた昔の六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)の八つの村を指していて、水路がこの地域を経由していた事から「八ヶ村堀」と呼ばれていました。
なお、その後の町の発展と土地区画整理により一部流路が変わったりしましたが、町並みの整備が進み、下水道の普及に伴い、「八ヶ村堀」はその役割を終える事になりました。
平成5年4月 足立区」
環七大谷田陸橋の南から整備されています。葛西用水に案内掲示が出ています。
葛西用水と平行してしばらくは流れています。
北方向への一方通行路となっています。
<おしゃれな鳥> 足立区中川4-9-6
「おしゃれな鳥>のオブジェ。
<遊ぶ魚たち2> 足立区中川4-9-14
「遊ぶ魚たち2」のオブジェ。
<昔魚だった鳥> 足立区中川4-8-7
「昔魚だった鳥」のオブジェ。インパクト強い作品名と思う。
<鳥と友達> 足立区中川4-8-11
「鳥と友達」のオブジェ。
<遊ぶ魚たち1> 足立区中川4-8-16
「遊ぶ魚たち1」のオブジェ。
<オブジェ2基> 足立区中川4-3-3
都営住宅横の八ケ村落し親水水路に作品名の掲示がないオブジェが2基あります。
葛西用水親水水路と平行して流れてきた八か村落し親水緑道は、
大きな案内板のところから90度曲がり、西へ向かいます。
葛西用水親水水路と八か村落し親水緑道の交差点は、かつて大谷田村碇耕地の地だったため、
橋名「碇伏越橋」に碇という土地の名が残っています。
また、水路の交差は、伏越であったことも橋名からうかがえます。
案内表示、説明パネル、昔の地図、昭和57年当時の東和、中川付近の写真が掲示されています。
「碇」 足立区東和2-18-9
「木猫」 足立区東和2-28-5
「錨」 足立区東和2-25-2
水は止まっていました。
煉瓦調タイルの壁泉から、次々と水が落ちています。堀の向こう側は、円性寺の墓地です。
煉瓦調タイル塀の向こう側に円性寺があります。
荒川辺八十八ヶ所霊場54番札所、荒綾八十八ヵ所霊場36番札所です。
庚申塔三基(いずれも足立区文化財)、多くの新田開発に当った河合丙内の墓(足立区文化財)があります。
(説明板)
「円性寺(えんしょうじ)
当山の開基は、存秀和尚(元和元年・一六一五没)である。その後、幾度かの変遷を経て現在の本堂は、昭和五十七年に再建された。
当寺の墓地には、江戸時代初期に北三谷新田(現東和一〜二丁目付近及び東綾瀬一〜三丁目付近)等を開拓した河合平内の墓(足立区登録文化財)と伝えられる宝篋印塔がある。法名はないが、年代は伝承に相当し、地域開発の先駆者の墓として、歴史的価値のたかいものである。河合平内は北三谷新田の名主で、肝煎(世話人)として多くの新田開発にあたり、慶長十九年(一六一四)代官伊奈半十郎忠治から開発定書(足立区立郷土博物館所蔵)が与えられている。
境内には、寛文四年(一六六四)銘・元禄四年(一六九一)銘・宝暦九年(一七五九)銘の庚申塔がある(いずれも足立区登録文化財)。特に、寛文四年銘の庚申塔は、青面金剛が庚申塔の主尊として彫刻された初期のものであり、区内における古い例として注目される。
平成二十年三月 足立区教育委員会」
<庚申供養塔3基>
・青面金剛庚申塔(足立区文化財)
寛文6(1666)年銘。珍しい一猿一鶏です。
・宝暦9(1759)年銘庚申塔(足立区文化財)
・元禄4(1691)年銘庚申塔(足立区文化財)
<初代河合平内の墓(足立区文化財)>
※詳細はこちらで記載
「八か村落し親水緑道」掲示 足立区東和1-25-2
北三谷通りとの交差点から先は東綾瀬となり、歩道専用通路となります。
防火用水貯留槽のマンホールが多々です。
〇「八か村落しファミリー公園」→「永礼橋」(足立区東綾瀬2-17-8)→「内戸越橋」(足立区東綾瀬2-16-22)
親水緑道は「八か村落しファミリー公園」の横を進みます。
水路は公園にも引き込まれ、公園の端で元の水路と合流します。
東綾瀬小学校に突き当たった水路は、校庭に沿って流れ、下河原橋から緑道を進みます。
種田橋に出ると、左手に東綾瀬住区センターがあります。
「説明パネル」
「青春の賦 渡邊敏泰作」 足立区東綾瀬1-28
元足立区長古性直氏の顕彰碑です。
「せせらぎの少女 渡邉敏泰作」 足立区東綾瀬1-28
道路を渡って緑道に入ります。高圦橋、金橋を経て、千代田線ガード下に出ます。
東綾瀬公園日時計 足立区東綾瀬1-26-16
高圦橋 足立区東綾瀬1-21-15
金橋 足立区東綾瀬1-21
ガード下をくぐり、江北橋通りに出ると「綾北橋」の橋名石。
道路渡って「綾北橋」の橋名石。(足立区東綾瀬1-7)
説明板(足立区東綾瀬1-7)
綾北橋の橋名石の先に八か村落し親水緑道の説明板があります。3か所目です。
「新開橋」(足立区東綾瀬1-7-1)
説明板から右に曲がると水路が出現。川の手通りに「新開橋」。
緑道沿に続いていた街灯と水路はここで途切れました。
東綾瀬公園案内図に「八か村落し口」の記載があります。
裏に足立区民憲章モニュメントもあります。
説明板を読むと、現在は中居堀と八か村落し堀は綾瀬駅の北口で合流し、
暗渠の古隅田川を昔の流れとは逆行して元隅田橋まで行くようです。
(説明板)
「足立区は、かつて東京の米倉と言われるほど農業が盛んで、いたるところに水路が流れていました。ここ綾瀬地区一帯は稲作地域であり、都立東綾瀬公園のあたりには、上流から多くの水路が流れ込んでいました。
平成元年度、都立武道館の建設に合わせて、東綾瀬公園を大規模に改良することになり、東京都と足立区で協力してこれらの水路を親水公園として再生することになりました。
この水路は花畑川から流れる中居堀から分かれ、下流の八か村落し堀に合流します。」
足立区民憲章モニュメント
駅前からの通路を行くと、東京武道館。
ハトの像と「綾和之碑 佐藤栄作」があります。