Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 護国寺 音羽富士


○音羽富士 文京区大塚5-40-1護国寺境内

 富士塚(浅間神社)は神社の一角にあるのが一般的ですが、こちらはお寺にある富士塚です。
 東京都内の寺院で富士塚があるのは、他には江戸川区の安養寺だけらしいです。
 音羽富士は通年で登ることができます。
 こちらの富士塚は、圧倒的な数々の石碑が印象的です。

「江戸名所図会」

 江戸名所図会では、富士塚が本堂のはるか西に描かれています。
 五合目に祠が見え、麓に弁天池が見えます。
 明治6(1873)年、政府に陸軍埋葬地として接収されたため、現在地は明治期の移転地です。

  

<音羽富士案内と石碑>

 不老門下の石段入口に「音羽富士」の案内板。人に慣れているようで猫が動かない。
 富士道の入口までに石碑が色々とあります。

  

<忠霊碑>

  

<民謡碑>

 青木好月を顕彰して昭和57(1982)年に造立。

  

<からすの赤ちゃん歌碑>

 護国寺の敷地には児童合唱団の音羽ゆりかご会がかつてありました。
 合唱団を創設した海沼實の作詞・作曲「からすの赤ちゃん」の歌碑です。

  

<私立獣醫學校発祥之地>

  

<珪化木 (木化石)>

 珪化木があります。
 壱億五千萬年前の木の化石です。

  

<富士道>

 「富士道」と彫られた石碑があり石橋を渡り、鳥居をくぐります。

    

    

<一合目>

 鳥居をくぐるとすぐに、一合目と書かれた合目石があります。
 文化14(1817)年と刻まれています。元の富士塚にあったものですね。
 江戸名所図会にすでに描かれているので、
 富士塚の設置年は不詳ですが、文化14(1817)年以前でしょう。

   

<御胎内>

 御胎内があり、中には石板があり、木花咲耶姫命が線刻されています。
 昭和2(1927)年10月と刻まれているので、石板は移築後のものです。

   

 五合目にあるのが一般的と思われる天狗の線刻の石碑が御胎内の近くにあります。

  

<二合目>

 すぐに二合目です。林立する石碑の中を進みます。

    

<九合目まで>

 四合目、六合目、七合目、八合目、九合目です。
 三合目、五合目は見あたらず。

    

   

<山頂/富士浅間神社>

 山頂に到着しました。

    

    


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