寛永寺の奉献石燈籠が3基(有徳院殿、常憲院殿、大猷院殿)ありました。
寛永寺の奉献石燈籠は、 戦後、寛永寺再建寄付の返礼などで、寺院や個人に払い下げられています。
護国寺も寛永寺の再建支援を行ったのか、寛永寺を支援した個人からの寄進でしょう。
一番古いのは徳川3代将軍家光公への奉献石燈籠で、護国寺の創建前のものです。
<有徳院殿尊前奉献石燈籠>
「奉献 石燈籠 二基
有徳院殿 尊前」
加賀国大聖寺城主 従五位下松平備後守菅原朝臣利道」
有徳院は徳川8代将軍吉宗です。寛永寺への奉献石燈籠。
加賀大聖寺藩の第5代藩主である前田利道による、寛延四(1751)年六月二十日の奉献です。
<常憲院殿尊前奉献石燈籠>
「武州東叡山奉献
常憲院殿 尊前」
讃州丸亀城主 従五位下若狭守源朝臣京極氏高或」
常憲院は徳川5代将軍徳川綱吉です。寛永寺への奉献石燈籠。
讃岐国丸亀藩の第3代藩主である京極高或による、寛永六(1629)年正月十日の奉献です。
奉献者と奉献年のつじつまがあわないです。寛永6年の燈籠を彫り直して奉献したのでしょうか?
以上2基の奉献石燈籠は、護国寺の駐車場にありました。
<大猷院殿尊前奉献石燈籠>
「奉獻石燈籠 両基
東叡山
大猷院殿 尊前」
小出伊勢守 藤原朝臣吉親」
大猷院は徳川3代将軍家光です。寛永寺への奉献石燈籠。
丹波国園部藩初代藩主である小出吉親による、慶安四(1651)年十一月二十日の奉献です。
仁王像の裏手、多宝塔の前に、単独で1基のみありました。