Discover 江戸史蹟散歩
 
 墨堤(堤通)

  ○ 東白鬚公園
    ・纏のシンボルタワー
    ・古代東海道隅田川宿跡
    ・葛飾北斎ゆかりの掲示板
      隅田川関屋の里
      梅若の秋月
      雪月花隅田
  ○ 梅若橋/梅若門
  ○ 木母寺境外碑


東白鬚公園 墨田区堤通2丁目

 東白鬚公園は隅田川に沿った都立公園です。
 (「髭」ではなく「鬚」の文字を使っています。)
 東京都では、この公園を防災拠点の第一号として造成しました。
 大地震や火災が起きた時には、避難広場となります。
 公園は団地と隅田川とに囲まれ、大規模火災時に火の手から守られるように想定されています。

    
 

纏のシンボルタワー>

 白鬚公園の中央に聳えるシンボルタワーです。
 江戸時代の火消し人足組が高く掲げた「まとい」をイメージしています。

   

(碑文)
「纏(まとい)。それは、江戸時代において、火事といえば即、纏といわれ、纏のもとに総力を結集して、消火活動を行い纏が火を消したとまで、いわれていました。
 この公園は、大震火災時には、都民の安全を守る避難場所ともなっています。
 その安全をあらわすシンボルとして、ここに纏のモニュメントを建造しました。
 (現在社団法人・江戸消防記念会のもとに、11区89組があり、この纏は第6区7番組のものをもとにしています。)
  昭和61年3月  東京都」

  
 

隅田宿跡>

 隅田川神社側の入り口に古代東海道の隅田宿跡の説明板があります。

(説明板)
「隅田宿跡
   現在地 墨田区堤通二丁目二番 都立白鬚公園
 当地は、古東海道の渡河地で、平安時代の末頃には隅田宿が成立していたといわれています。
 隅田宿は、治承四年(一一八○)に源頼朝が布陣したと伝わる宿で(『吾妻鏡』)、元来は江戸氏など中世武士団の軍事拠点であったと考えられています。遅くとも南北時代までには人と物が集まる都市的な場が形成されたようで、歌人藤原光俊が詠んだという十三世紀中期の歌には、多くの舟が停泊してにぎわう様子が描かれています(『夫木和歌抄』)。
 また、室町時代成立の『義経記』には「墨田の渡り両所」と見え、墨田宿が対岸の石浜付近と一体性を有する宿であったらしいこともうかがえます。
 対岸との関係については今なお不明な点を多く残しますが、隅田川東岸部における宿の広がりについては、江戸時代の地誌に載る一部の伝承と絵地図が参考になります。それらを分析した研究成果によれば、所在範囲はおよそ図示したように想定されます。
 なお、人買にさらわれた梅若丸とその母の悲話を伝えた梅若伝説、そして罪業深い老母と娘の悲劇を伝えた石枕の伝説(一ツ家伝説)など、隅田川流域にはいくつか著名な伝説が残されました。この付近に成立した隅田宿は、そうした伝説を育む場でもあったようです。
  平成二十五年三月  墨田区教育委員会」

   
 

隅田川関屋の里> 墨田区堤通2-7-39(鐘ケ渕陸橋交差点)

 公園内ではありませんが、鐘ヶ渕陸橋交差点に「葛飾北斎ゆかりの掲示板H」があります。

「すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎の描いた風景をたどろう
 H 隅田川 関屋の里 - 冨嶽三十六景 -

「葛飾北斎が72歳頃に版行した代表作「冨嶽三十六景」シリーズの一枚です。現在の墨田区堤通2丁目から足立区千住曙町、千住関谷町のあたりが描かれています。画面には高札以外の家も見えず草原と田んぼが広がり、手前から奥へ蛇行して伸びる土手と存在感ある松朝焼けの富士山が見える穏やかな早朝の中、疾走する三騎の人馬は躍動感に溢れている印象的な作品です。武士たちの衣装、馬体、馬具の細部に至るまで明るい色使いが施されています。天保2(1831)年頃の作品です。」

    

    
 

梅若の秋月> 東白鬚公園内

「すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎の描いた風景をたどろう
 I 梅若の秋月 ‐風流隅田川八景‐

「風流隅田川八景」シリーズの一枚です。「たずねきて 問わばこたえよ都鳥 すみだ河原の露ときえぬと」の辞世の句で有名な木母寺に古くから伝わる「梅若伝説」を題材にしています。京の方から騙されて連れられてきた梅若丸は、病に倒れ、隅田宿あたりで僅か12歳の生涯を閉じました。母の花御前は悲しみのあまり狂女となり、我が子を探し彷徨ったと伝えられています。平安時代の話を江戸時代に置きかえ、生前に会えなかった母子が、絵の中では仲睦まじく舟遊びをしている姿で描かれています。文化中期(1804〜18年)頃の作品です。」

     

  
 

雪月花隅田> 東白鬚公園内

「すみだが誇る世界の絵師葛飾北斎の描いた風景をたどろう
 J 雪月花 隅田

「雪景色の隅田河畔を描いた作品で、月の淀川、花の吉野と共に選ばれた三名所の一枚です。画面中央の森の中には木母寺と料亭「植半」、手前には水神社と呼ばれた隅田川神社を配し、厚い雪を積もらせています。当時はいずれも雪景色の名所と言われました。画面上下の濃い藍色が、夜が明け切らない早朝の印象を与えていて、静寂さとそこはかとない郷愁を感じさせる作品です。そして、静かな冬の朝の中にも舟で網を仕掛ける人や雪の中を行く二人の人物が描かれ、左下の都鳥らしき鳥たちもアクセントとなっています。文政末から天保初(1830)年頃の作品です。」

     

  


○ヘリポート予定地

 木母寺の隣りは、広大なヘリポート予定地です。

  


梅若橋/梅若門

 梅若橋は、道路に架かる東白髭公園の人工地盤の陸橋です。
 かつては、江戸城で使用する野菜を栽培していた御前栽畑がここにありました。

  

 梅若門と命名されている防火シャッターです。

  

 隅田川に架かる水神大橋。

   


木母寺境外碑 墨田区堤通2-16-11

 木母寺入口横の境外、東白鬚公園内に巨碑が並んでいます。

  
 

<日露戦役従軍紀念碑>

 明治39年10月の建立。東郷平八郎の揮毫です。

    
 

<大正震火災横死者追悼之碑>

 大正12年の関東大震災の被災死亡者を弔う碑です。

   


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